『満州事変と重光駐華公使報告書―外務省記録「支那ノ対外政策関係雑纂『革命外交』」に寄せて―』(日本図書センター、2002年)
 
 
――――【1】目次――――
 
 解題 重光葵駐華公使報告書「支那ノ対外政策関係雑纂『革命外交』」(一九三一年十二月)について
 
 凡例
 
 「支那ノ対外政策関係雑纂『革命外交』(重光駐支公使報告書)」
目 次
緒 言
第一章 支那ノ革命的外交政策
   第一節 条約ノ一方的廃棄
   第二節 外国及外国人ノ正当権益否認
   第三節 排外運動
第二章 華府会議ト其ノ後
   第一節 華府会議ニ於ケル列国ノ支那ニ対スル援助
   第二節 北京関税特別会議及治外法権委員会
   第三節 国民政府ト列国ノ態度
   第四節 華府会議ト其ノ後
第三章 日本ノ支那ニ於ケル条約上ノ権益
   第一節 概説
   第二節 権益侵害ノ事例
第四章 満洲問題
   第一節 一般的考察
   第二節 権益侵害ノ具体的実例
第五章 山東問題
   第一節 山東省ニ於ケル日本ノ特殊地位
   第二節 山東省ニ於ケル日本ノ権益ト之ニ対スル支那側ノ態度
第六章 日支両国間ノ経済関係
   第一節 概説
   第二節 債務整理ニ対スル国民政府ノ不誠意
   第三節 漢冶萍借款問題
   第四節 南潯鉄道借款問題
   第五節 双橋無電ニ関スル三井独占権侵害
   第六節 支那国有鉄道運賃差別待遇問題
第七章 排外運動
   第一節 排外運動ノ一般状況
   第二節 排日運動及日貨排斥
第八章 支那革命後ノ政況
   第一節 民軍ノ興起ト清帝ノ退位
   第二節 南京臨時政府時代
   第三節 北京臨時政府時代
   第四節 袁世凱執権時代
   第五節 黎元洪大総統時代
   第六節 馮国璋総統時代
   第七節 徐世昌大総統時代
   第八節 黎氏ノ復職ヨリ曹〔金昆〕総統時代
   第九節 段氏執政時代
   第十節 摂政時代
   第十一節 張作霖時代
   第十二節 南京政府時代
 
 あとがき
 
 
――――【2】解題からの抜粋――――
 
 満州事変後に重光葵公使を中心とする駐華日本公使館は、国際連盟の対日批判に応ずべく報告書を準備していた。この重光報告書は「支那ノ対外政策関係雑纂『革命外交』(重光駐支公使報告書)」として外務省外交史料館に所蔵されている。ただし、同報告書は松本記録であり、しかも結論部分が欠落している。管見の限りでは、憲政記念館所蔵重光葵関係文書等を含めて、原文書の存在は確認されていない。
 
 それゆえに、重光報告書作成の経緯を示す史料は十分に残されていないのであり、断片的な情報から報告書執筆の過程を復元する必要がある。まず、報告書の表紙には、「国際聯盟支那調査外務省準備委員会 件名 支那対外政策関係雑纂 昭和六年(一九三一)十二月 革命外交(第壱) 重光駐支公使報告書」と記されている。また、重光報告書の「緒言」によれば、「本報告書ハ満洲事変発生直後ニ作製(成ヵ)セラレタルモノナルモ其ノ材料ハ事変前ノ蒐集ニ係ル」という。さらには、報告書の作成された一九三一年十二月には国際連盟が調査団派遣を決議しており、リットン調査団を意識して編纂されたものと推定できる。
 
 それでは重光報告書は、リットン調査団といかなる関係にあるのだろうか。
 
……(中略)……
 
 重光報告書を通読した者は、ある種の新鮮さに襲われるかも知れない。それは恐らく、上記のような時代的制約があるにせよ、曲がりなりにも近代日中関係を通観した視野の広さと明快な論理構成に由来するものと思われる。加えて重光報告書には、余程の専門家でなければ知り得ないような諸事件が多数含まれており、微視的にも読むことができる。
 
……(中略)……
 
 いずれにせよ、当該期を振り返る材料が鏤められていることだけは確かである。
 
 
――――【3】あとがきからの抜粋――――
 
 一九九四、五年の頃であっただろうか。初めて外務省記録「支那ノ対外政策関係雑纂『革命外交』(重光駐支公使報告書)」を外務省外交史料館で閲覧した。当時まだ院生だった私は、中国外債整理交渉の事例研究を試みようとしていた。そのような観点から重光報告書を一読したが、事例研究を終えた後も内容豊富な重光報告書のことは頭の片隅に残っていた。とはいえ、新発見の史料というのではない。重光報告書は松本記録から度々引用されていた。ただ、二〇〇字詰め原稿用紙で六八六枚という長文報告書が正面から分析されることは稀であっただろう。また、いわゆるマクマリー・メモランダムとの対比も有益に思えた。この頃から私は、日米中英ソ各国間における秩序構想の相剋に関心を抱くようになっていたのである。
 
 重光報告書全二冊をマイクロフィルム化して精読したのは、一九九〇年代後半の助手時代であった。やはり重光報告書は興味深かった。満州事変期の日中関係に留まらず、十九世紀以来の外交関係を体系的に総括せんとしていたためである。特に、条約的根拠から分析されている点において、今日的な外交史研究とは異なる視角があった。また、重光報告書には、「権益侵害」の実例が無数に挙げられている。そのため報告書は、満州事変の起源を日中外交史の文脈で再考する際の手掛かりに満ちているように思えた。もっとも、報告書が中国側を非難し、日本の行為を正当化しようとする文脈で書かれているだけに、その内容を鵜呑みにできないのは無論である。それでも……
 
……(以下略)……
 
 
――――【4】正誤表――――
・21頁注5の5行目
 誤:『法学政治学論究」
 正:『法学政治学論究』
 
・23頁注13
 誤:全四巻A.1.1.0…
 正:全四巻、A.1.1.0…
 
・64頁13行目
 誤:伯
 正:伯(白ヵ) ←ルビがHP上では正確に表示できないようです
 参考:伯だと伯剌西爾(ブラジル)になってしまうので、白耳義(ベルギー)を表す「白」にすべきところだと考えられます。だとすれば、(白ヵ)というルビが必要でした。
 
・118頁8行目
 誤:一九二六年(昭和二年)
 正:一九二六(七ヵ)年(昭和二年) ←ルビがHP上では正確に表示できないようです
 参考:奉海鉄道の竣工は1927年9月ですので、1927年にすべきところだと思われます。とすれば、(七ヵ)というルビが必要になってきます。


――――【5】新刊紹介――――

 ここでは御参考までに、拙編『満州事変と重光駐華公使報告書――外務省記録「支那ノ対外政策関係雑纂『革命外交』」に寄せて』(日本図書センター、2002年)への新刊紹介を掲載してあります。執筆者の先生方には、心より御礼申し上げます。微力ながら、今後の研究に活かしていきたいと考えております。
 
 ・武田知己先生による新刊紹介…『史学雑誌』(第112編第7号、2003年7月)、121-122頁