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【2019年12月⑤】

 拙著『高坂正堯――戦後日本と現実主義』(中公新書、2018年)が電子書籍になりました。

 こちらにリンクを貼っております。

 一部に加筆修正してあります。

 それ以外にも、いまだったら少し違った書き方をしていたかな、というところが2点あります。

 1点目は、高坂先生が『古典外交の成熟と崩壊』を1978年に刊行していながら、博士号の取得は1984年と遅れたことです。

 これに関して拙著は、個人的な事情が原因ではないかと推測しておりました。

 しかしいまは、高坂先生は博士号の取得にこだわていなかったのではないか、と思うようになりました。

 当時は現在と異なり、博士号を取得しなければならないという雰囲気が格段に弱かったはずです。

 2点目は、私が高坂先生の研究室を訪れたとき、吉田茂との関係や、佐藤栄作内閣以来のブレーンの話を聞いておけばよかったと書いたことです。

 ですが、高坂先生はブレーンとしての内実をほとんど口外しなかったようです。

 したがって、ゼミ生でもない学部生に聞かれても、おそらくお答えにならなかったと思います。

 なお、3月ごろ『総合政策研究』第28号に、高坂先生の学生時代を知る方へのインタビューを掲載予定です。

 同稿は、中央大学学術リポジトリに公開されるはずです。


【2019年12月④】

 中曽根康弘元首相に関するコメントが、『週刊新潮』12月12日号、38頁に掲載されました。


【2019年12月③】

 The Japan Times, December 6, 2019, p. 4に拙稿 "Statesman Yasuhiro Nakasone helped shape postwar Japan" が掲載されました。

 こちらにリンクを貼っておきます。

 オンライン版と紙媒体では、少し異なるところがあるようです。

 関係各位に深謝申し上げます。

 なお、タイトルは私が付けたものではありません。


【2019年12月②】

 拙稿「評伝・中曽根康弘、戦後日本外交の頂点を極めた」(『日経ビジネスオンライン』2019年12月2日号)1-2頁が公表されました。

 こちらにリンクを貼っておきます。


【2019年12月】

 12月1日、NHK報道特番「中曽根康弘元首相と戦後日本」に出演しました。

 司会者は伊藤雅之解説副委員長、出演者は藤崎一郎大使、御厨貴先生、私でした。

 こちらにリンクを貼っておきます。


【2019年11月】

 『中曽根康弘――「大統領的首相」の軌跡』(中公新書、2015年)が電子書籍になりました。

 こちらにリンクを貼っておきます。

 一部に加筆修正してあります。


【2019年10月】

 拙著『増補版 大平正芳 理念と外交』(文春学藝ライブラリー、2019年)が刊行されました。

 『大平正芳 理念と外交』(岩波書店、2014年)の増補版です。

 解説については、御令孫の渡邊満子様が執筆して下さいました。

 Kindle版については、こちらを参照していただければ幸いでございます。

 関係各位に深謝申し上げます。

 なお、『大平正芳 理念と外交』(岩波書店、2014年)は、以下のように中国語訳されています。

    服部龍二/沈丁心・騰越訳/郭連友校『大平正芳的外交与理念』(北京:中央編譯出版社、2017年)

 いつの間にか、Kindle Unlimitedで\0.00になっていることに気づいてしまいました。


【2019年9月】

 拙著『増補版 大平正芳 理念と外交』(文春学藝ライブラリー、2019年)を進めています

 10月に刊行予定です。


【2019年8月】

 『日本歴史』8月号に拙著『高坂正堯――戦後日本と現実主義』(中公新書、2018年)の短評が掲載されました。

 歴史系の学会誌に取り上げていただけるとは、思っておりませんでした。

 関係各位に深謝申し上げます。


【2019年7月】

 前期の授業が終わりました。

 これから期末試験の採点やレポートの添削を行います。

 また、Ryuji Hattori, translated by Tara Cannon, Understanding History in Asia: What Diplomatic Documents Reveal (Tokyo: Japan Publish Industry Foundation for Culture, 2019) につきまして、Japan Libraryの方々が海外に発送して下さいました。

 同書は、Kindleでも読めるようになりました。

 こちらにリンクを貼っておきます。

 関係各位に深謝申し上げます。


【2019年6月②】

 拙稿「30年ルールの起源と外交記録公開」(『外交史料館報』第32号、2019年3月)が、外務省ホームページに掲載されました。

 こちらにリンクを貼っておきます。PDFで開きます。


【2019年6月】

 拙稿「岡崎嘉平太と中国」(『中央大学論集』第40号、2019年2月)が、中央大学学術リポジトリに掲載されました。

 こちらにリンクを貼っておきます。


【2019年5月】

 戸部良一先生「時評 恩師の評伝 服部龍二『高坂正堯』を読む」(『アステイオン』第90号、2019年5月)を拝読いたしました。

 「『御用学者』という批判は、『タレント教授』という中傷と同じく、歯牙にもかけなかっただろう」といった御指摘や、学長就任予定だった静岡文化芸術大学に関する「お年寄りがいつでも出入りできて、若い人と交流できるようにするんや」という高坂先生の言葉が印象的でした。

 同号の特集や連載なども、拝読させていただきました。


【2019年4月②】

 拙稿「30年ルールの起源と外交記録公開」(『外交史料館報』第32号、2019年3月)が公表されました。

 いずれ外務省のホームページに掲載されると思います。

 こちらにリンクを貼っておきます。

 このテーマについては、将来的にまとめられればと考えております。

 また、同稿の公表をもちまして、日本外交文書編纂委員会委員を退きました。

 2012年から7年間、外交史料館では大変にお世話になりました。

 編纂室、編纂委員会をはじめ、関係各位に深く御礼を申し上げます。

 あまりお役に立てず、忸怩たる思いです。


【2019年4月】

 新学期が始まりました。

 今日は、教員紹介など新入生との交流会がありました。

 また、しばらく大学を離れていたため気づくのが遅れましたが、年度末に学外の方々から、何冊か御著書を贈っていただきました。

 誠にありがとうございます。

 本来であれば、拝読のうえ返礼すべきところなのですが、それが難しくなっており、申し訳ありません。


【2019年3月】

 Ryuji Hattori, translated by Tara Cannon, Understanding History in Asia: What Diplomatic Documents Reveal (Tokyo: Japan Publish Industry Foundation for Culture, 2019) が刊行されました。

Japan Libraryの1冊です。

 関係各位に深く御礼を申し上げます。

 同書は、拙著『外交ドキュメント 歴史認識』(岩波新書、2015年)の英訳です。

 『外交ドキュメント 歴史認識』については、第2刷で4頁ほど加筆してあります。

 その加筆は、英訳に反映されています。


【2019年2月③】

 「岡崎嘉平太と中国」(『中央大学論集』第40号、2019年2月)が公表されました。

 「岡崎嘉平太と中国」(岡山県郷土文化財団岡崎嘉平太記念館『日中国交正常化40周年記念 岡崎嘉平太がめざした世界平和への道を考える 第11回 講演会』岡山県郷土文化財団岡崎嘉平太記念館、2013年1月)に加筆修正したものです。

 いずれPDFが、中央大学学術リポジトリに掲載されると思います。

 こちらにリンクを貼っておきます。


【2019年2月②】

 五百旗頭真「私の履歴書(16)神戸大のゼミ 長時間の真剣勝負 光る若い感性」(『日本経済新聞』2019年2月17日朝刊32面)を拝読いたしました。

 こちらにリンクを貼っておきます。

 そのなかに、次のようなくだりがあります。

    ある私立女子大へ非常勤で出講したところ、出席が義務で、興味なき者も全員が大教室にひしめき、私語をする。沈黙させる方途を見いだすのに何カ月も要した。

 興味をもってもらうのに思案したという意味では、私にも似たような経験があります。

 近年では私語よりも、スマホに没頭する学生さんが多いようです。

 そこで授業が飽きられないように、ときどき学生さんにコメントを求めるようにしています。

 といっても、急に当てると、学生さんが萎縮してしまうので、冒頭で「今日は何年生何組から順に当てます」などと述べておきます。

 それでも、スムーズにいくとは限りません。

 コメントを求めても、沈黙が続くことが少なくなく、「何もなさそうですか」などと発言を促すと逆にこちらが質問され、その部分を説明して終わりになりがちです。

 思考力やコメント力をつけてもらうために、ご自分の意見を言っていただきたいところなのですが、ハードルが高く感じられるのかもしれません。

 私の授業スキルに原因があるのでしょうけれども、高校生までの減点型(?)教育や、あらかじめ回答が1つに決まっている試験に学生が慣れていることも遠因でしょうか。

 コメントを求めるとき、こちらが唯一の正解のようなものを用意しているわけではないのですが、その点を学生さんにうまく伝えられていないのかもしれません。

 他方、学生からすると、間違うことを恐れてしまうようです。

 しかし、大学での学びや社会の仕事では、答えが1つだけということは、まれだと思います。

 仮に教員やほかの学生と異なる考え方であっても、ご自分のコメントを聞かせて下さい、というところから始める必要がありそうです。

 双方向の授業、いわゆるアクティブ・ラーニングがいかにあるべきか、ときどき考えさせられます。

 なお、先の『日本経済新聞』写真で、私は後列、向かって右から3人目です。


【2019年1月⑤】

 『外交』2019年1月号、146頁に、秋山昌廣/真田尚剛・服部龍二・小林義之編『元防衛事務次官 秋山昌廣回顧録──冷戦後の安全保障と防衛交流』(吉田書店、2018年)の短評が掲載されました。


【2019年1月④】

 『みすず』2019年1・2月号「2018年読書アンケート」36頁に、酒井哲哉先生が『高坂正堯』の短評を載せて下さいました。

 深く御礼を申し上げます。


【2019年1月③】

 『日本経済新聞』1月19日朝刊27面に、秋山昌廣/真田尚剛・服部龍二・小林義之編『元防衛事務次官 秋山昌廣回顧録──冷戦後の安全保障と防衛交流』(吉田書店、2018年)の短評が掲載されました。

 こちらにリンクを貼っておきます。

 詳しい内容については、こちらに吉田書店のリンクを貼っておきます。


【2019年1月②】

 拙著『高坂正堯――戦後日本と現実主義』(中公新書、2018年)第2刷が発行されました。

 第2刷では、数カ所を修正しました。


【2019年1月】

 謹んで新春のご祝詞を申し上げます。

 本年も、ご指導ご鞭撻のほどをよろしくお願い申し上げます。

 皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします。

  追伸 数年前から、年賀状や年賀メールは取り止めております。

     非礼をお詫びいたします。


【2018年12月⑩】

 拙著『高坂正堯――戦後日本と現実主義』(中公新書、2018年)の増刷が決まりました。

 こちらに中公新書Twitterのリンクを貼っておきます。

 第2刷が流通するのは、年明けになってしまうと思います。 

 今年も、同書の関係各位をはじめ、多くの方々に大変にお世話になりました。

 例えば同書の終章362、364頁などに明記しましたように、高坂先生の他界については、

   高坂節三『昭和の宿命を見つめた眼──父・高坂正顕と兄・高坂正堯』(PHP研究所、2000年)
     同   「兄・正堯と母」(『季刊アステイオン』1996年10月号)

 といった文献に依拠しています。

 他界前の家族との会話や電話のくだりが、文献からの引用であり、私の創作でないことはもちろんです。

 直接引用が続く場合、最後のところに出典を入れてあります。

 私が高坂先生の弟子ではないだけに、それらの文献が評伝の執筆に不可欠でした。

 重ねて御礼を申し上げます。

 


【2018年12月⑨】

 少し前のことですが、中央大学図書館で、オンライン版「矢部貞治関係文書」を購入していただきました。

 「楠田實資料」「大平正芳関係文書」と合わせて、横断的に検索できます。


【2018年12月⑧】

 『東京人』2019年1月号で、ほかの先生方の2冊と合わせて、拙著『高坂正堯――戦後日本と現実主義』(中公新書、2018年)を書評していただきました。

 評者は、苅部直先生です。

 深く御礼を申し上げます。

 ほかにも、『週刊ダイヤモンド』2018年11月10日号、『週刊東洋経済』2018年12月1日号などに短評が掲載されていました。

 誠にありがとうございます。


【2018年12月⑦】

 今年最後となる研究会報告を終えました。

 勉強の機会を与えて下さいましたことに厚く御礼を申し上げます。


【2018年12月⑥】

 22日の『朝日新聞』で、拙著『高坂正堯――戦後日本と現実主義』(中公新書、2018年)を書評していただきました。

 評者は、出口治明先生です。

 深く御礼を申し上げます。

 主要5紙すべてで拙著が書評されたのは、おそらく初めてだと思います。

 主要5紙とは掲載順に、『毎日新聞』『産経新聞』『読売新聞』『日本経済新聞』『朝日新聞』のことです。

 当初は、新書での刊行が難しそうだったこともあり、とても感謝いたしております。

 お陰様で、増刷が決まったようです。

 きっと高坂先生のファンが読んで下さったのだろうと拝察いたします。


【2018年12月⑤】

 15日の『日本経済新聞』で、拙著『高坂正堯――戦後日本と現実主義』(中公新書、2018年)を書評していただきました。

 評者は、細谷雄一先生です。

 深く御礼を申し上げます。

 『日本経済新聞』で書評していただけるとは、思っておりませんでした。

 というのも、2月3日の同紙に、拙著『佐藤栄作―─最長不倒政権への道』(朝日新聞出版、2017年)への短評が出ていたためです。


【2018年12月④】

 12月12日の『毎日新聞』朝刊21面に、インタビュー記事「ぐるっと首都圏 服部龍二」が掲載されました。

 リンク先は、画像ファイル(JPG)で開きます

 つたない話をうまくまとめて下さいました。

 関係各位に御礼を申し上げます。


【2018年12月③】

 拙稿「なぜ島田紳助がリスペクト? 国際政治学者・高坂正堯の意外な一面」(文春オンライン、2018年12月9日)が掲載されました。

 なお、タイトルや小見出しは、こちらで付けたものではありません。


【2018年12月②】

 次の文献がダウンロードできることに気づきました。

   George F. Kennan,"History as Literature," Encounter, No. 67, April 1959

   Melvin J. Lasky,"A Conversation with George Kennan," Encounter, No. 78, March 1960

 そこでは、

 It was history as both science and literature, not history as science alone, which would reach beyond the specialised reader, contribute to public understanding of the past, and live in historical memory ("History as Literature," p. 11).

    History is, after all, both a form of literature and a form of science ("A Conversation with George Kennan," p. 46);

 など、歴史叙述に対するケナンの考え方が示唆されいます。

 また、これは国会図書館にも入っていませんが、

  George F. Kennan,"The Experience of Writing History," Virginia Quarterly Review, Vol. 36, No. 2 (1960), pp. 205-214

 では、

 The historian is lonely, first of all, vis‐à‐vis the historical personages who are the objects of his study....And it is not only vis‐à‐vis the inhabitants of the past that the historian is lonely. The study of history is something that cuts one off from the age in which one lives ("The Experience of Writing History," pp. 209, 211).

 と述べられています。

 少し意訳すると、歴史家は二重の意味で孤独ということかと思います。

 二重とは、研究対象を直に触れられないこと、現代に背を向けて過去に没頭するため、周囲からは白眼視されることです。

 これらについては、

 細谷千博「歴史家としてのジョージ・ケナン」(同『日本外交の座標』中央公論社、1979年所収、のち、細谷千博著作選集刊行委員会編『国際政治のなかの日本外交――細谷千博著作選集 第2巻』龍溪書舎、2012年所収)

 が参考になります。


【2018年12月】

 6日のNHK BSプレミアム放送「昭和の選択 開戦を回避せよ! ~近衞文麿・日米交渉の挫折~」にVTRで出演いたしました。


【2018年11月④】

 秋山昌廣/真田尚剛・服部龍二・小林義之編『元防衛事務次官 秋山昌廣回顧録──冷戦後の安全保障と防衛交流』(吉田書店、2018年)が刊行されました。

 詳しい内容については、こちらに吉田書店のリンクを貼っておきます。

 関係各位に深謝申し上げます。


【2018年11月③】

 25日の『読売新聞』で拙著『高坂正堯――戦後日本と現実主義』(中公新書、2018年)を書評していただきました。

 評者は、橋本五郎様です。

 深く御礼を申し上げます。


【2018年11月②】

 25日の『産経新聞』で拙著『高坂正堯――戦後日本と現実主義』(中公新書、2018年)を書評していただきました。

 評者は、竹内洋先生です。

 深く御礼を申し上げます。


【2018年11月】

 「著者に聞く 『高坂正堯――戦後日本と現実主義』/服部龍二インタビュー」がweb中公新書に載りました。

 私にまでインタビューして下さるとは、思っておりませんでした。

 誠にありがとうございます。

 冒頭の写真は、敬称略で表記させていただきますと、

    丸山眞男  坂本義和  高坂正顕

          永井陽之助

                高坂正堯(29歳)

 となります。


【2018年10月③】

 28日の『毎日新聞』で拙著『高坂正堯――戦後日本と現実主義』(中公新書、2018年)を書評していただきました。

 評者は、中島岳志先生です。

 深く御礼を申し上げます。

 拙著の奥付は10月25日ですので、早くも10月中に書評が出るとは思っておりませんでした。


【2018年10月②】

 拙著『高坂正堯――戦後日本と現実主義』(中公新書、2018年)が刊行されました。

 拙著では高坂先生の著作を軸として、戦後日本の知的潮流や政治学史をたどり、佐藤栄作内閣、三木武夫内閣、大平正芳内閣、中曽根康弘内閣への関与、さらには現代への示唆を論じるように努めました。

 高坂先生の著作を体系的に読むことができたのは、諸先生方がまとめられた高坂正堯著作集刊行会編『高坂正堯著作集』全8巻(都市出版、1998-2000年)のおかげです。

 高坂先生には御高名な門下生が多いなか、執筆者が私でよかったのか、という思いがいまも頭を離れません。

 また、はしがきなどを含めて424頁と大部になったにもかかわらず、新書での刊行を認めて下さった中央公論新社にも深謝申し上げます。

 大部になったのは、当初、中公叢書での刊行を予定していたためです。

 分量の割には、定価を1,000円に抑えて下さいました。

 その代わり、印税数%を放棄いたしました。

 30年近く前、京都大学法学部で高坂先生の国際政治学と外交史の授業を受けたときには、このような日が来るとは夢にも思いませんでした。

 


【2018年10月】

 2年ほど前のことですが、拙著『田中角栄──昭和の光と闇』(講談社現代新書、2016年)を刊行したとき、84頁で写真のトリミングとキャプションにミスを出してしまいました。

 写真の出典は、毎日フォトバンクです。 

 毎日フォトバンクを「自民党副総裁並びに党三役」で検索すると、ヒットします。

 増刷されれば修正するつもりでしたが、まだ増刷されていないため、修正できておりません。

 また、拙著『大平正芳 理念と外交』(岩波書店、2014年)が品切れとなっていたことに気づきました。

 同書では中国語訳を含めて、大変にお世話になりました。


【2018年9月】

 『高坂正堯――戦後日本と現実主義』(中公新書、2018年)を仕上げています。

 10月刊行予定です。


【2018年8月③】

 読書はKindle本という方も多くなっているかと思います。

 Kindle本は便利な半面で、論文や本を書くときには、引用しにくいところがありますね。

 ほとんどのKindle本はリフロー型で、フィックス型ではありません。

 Kindle本で読んでも、引用ではページを確定するために紙媒体でチェックし、二度手間になることがあります。

 このため、引用箇所が紙媒体で何ページなのか、不明になりがちです。

 この点が、近年では改良されています。

 Kindle本が紙媒体のページ番号表示に対応しているかは、Kindleストアで本を検索し、

   (1)「紙の本の長さ」に「印刷版(ISBN …)に基づく実際のページ番号が含まれています」と表示されるか

     または

   (2)「登録情報」に「ページ番号ソースISBN」があるか

 で確認できます。

 洋書のほうが、対応は進んでいるようです。

 例えば、ネオクラシカル・リアリズムの命名者、『フォーリン・アフェアーズ』編集長として知られるギデオン・ローズのHow Wars End: Why We Always Fight the Last Battleや、昨年、和訳されて話題となったクリストファー・クラークのThe Sleepwalkers: How Europe Went to War in 1914が、ページ番号表示に対応しています。

 しかし、実際に引用するとなれば、ミスを防ぐため、紙媒体で確認する作業が必要になるかと思います。

 Kindle本が紙媒体と同じフィックス型、PDFだとありがたいのですが、ほとんどはリフロー型のようです。


【2018年8月②】

 「大平正芳関係文書」を中央大学図書館のデータベースに加えていただきました。

 こちらにリンクを貼っておきます。

 楠田實資料と合わせて検索できます。


【2018年8月】

 オープンキャンパスで、2回ほど学部ガイダンスを担当いたしました。

 暑いなかを参加していただき、誠にありがとうございました。


【2018年7月】

 授業が終わり、期末試験となりました。

 期末試験のほか、レポートをチェックします。


【2018年6月②】

 「この3冊 シベリア出兵」が、6月24日の『毎日新聞』9面に掲載されました。

 有料記事ですが、こちらにリンクを貼っておきます。

 取り上げさせていただいたのは、次の3冊です。

    細谷千博『シベリア出兵の史的研究』(岩波現代文庫、2005年)

    高原秀介『ウィルソン外交と日本──理想と現実の間 1913-1921』(創文社、2006年)

    麻田雅文『シベリア出兵──近代日本の忘れられた七年戦争』(中公新書、2016年)


【2018年6月】

 『外交史料館報』第31号が、外務省外交史料館のホームページにアップロードされました。

 こちらにリンクを貼っておきます。


【2018年5月③】

 インタビュー記事が掲載されました。

 中曽根康弘100歳に関するものです。

   「官邸主導の起点に」(『上毛新聞』2018年5月27日朝刊12面)

   「官邸主導の起点」(『福井新聞』2018年5月27日朝刊19面)

 共同通信の配信ですので、内容はほぼ同じです。


【2018年5月②】

 拙稿「100歳を迎えた中曽根康弘・元首相」(『WEBRONZA』2018年5月27日)が公表されました。

 こちらにリンクを貼っておきます。


【2018年5月】

 『河北新報』5月3日朝刊24面にコメントを寄せました。

 衆議院議長時代の幣原喜重郎の史料に関するものです。

 こちらにリンクを貼っておきます。

 コメントの内容は、拙著『増補版 幣原喜重郎──外交と民主主義』(吉田書店、2017年)と部分的に重複しています。


【2018年4月】

 外務省外交史料館から、『外交史料館報』第31号(2018年3月)が刊行されました。

 いずれ同館のホームページで公開されると思います。

 こちらにリンクを貼っておきます。


【2018年3月】

 外務省外交史料館から、次の『日本外交文書』が発行されました。

    外務省編『日本外交文書 占領期 第3巻(邦人の引揚げ問題)』(外務省、2018年2月)

 これで占領期については、一段落ついたようです。


【2018年2月②】

 日本国際政治学会編『日本国際政治学 第4巻 歴史中的国際政治』(北京:北京大学出版会、2017年)が昨年11月に刊行されていたことを知らせていただきました。

 これは、日本国際政治学会編『日本の国際政治学』全4巻(有斐閣、2009年)の中国語訳です。

 日本国際政治学会編『日本国際政治学 第4巻 歴史中的国際政治』(北京:北京大学出版会、2017年)には、拙稿「両次世界大戦期間的東亜国際政治史」が所収となっています。


【2018年2月】

 以下の各紙で、拙著『佐藤栄作―─最長不倒政権への道』(朝日新聞出版、2017年)を書評していただきました。

  『沖縄タイムス』1月20日
  『信濃毎日』1月21日
  『新潟日報』1月21日
  『日本経済新聞』2月3日
  『週刊文春』2月8日号

 深く御礼を申し上げます。


【2018年1月】

 本年も、ご指導ご鞭撻のほどをよろしくお願い申し上げます。

 なお、数年前から、年賀状やメールを出さないことにさせていただいております。

 ご寛恕を乞う次第です。


【2017年12月】

 拙著『佐藤栄作―─最長不倒政権への道』(朝日新聞出版、2017年)が刊行されました。

 朝日新聞出版のリンクをこちらに貼っておきます。

 同書では、多くの方々にお世話になりました。

 今後とも、ご指導ご鞭撻のほどをよろしくお願い申し上げます。


【2017年11月】

 拙著『大平正芳 理念と外交』(岩波書店、2014年)が中国語に翻訳されました。

     服部龍二/沈丁心・騰越訳/郭連友校『大平正芳的外交与理念』(北京:中央編譯出版社、2017年)

 関係各位に深謝申し上げます。

 中央大学総合政策学部図書室に寄贈しておきました。


【2017年10月】

 拙著『日中国交正常化──田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)が韓国語に翻訳されました。

      服部龍二/ソスンウォン・ファンスヨン訳『中国と日本の握手──1972年国交正常化の真実』(ソウル:Youkrak、2017年

 関係各位に深謝申し上げます。

 中央大学総合政策学部図書室に寄贈しておきました。


【2017年8月】

 前期の採点、レポートのチェックを終えました。

 また、アジア歴史資料センターでは、外務省外交史料館が所蔵する「戦後外交記録」の公開が始まりました。

 こちらに新規公開のリンクを貼っておきます。


【2017年4月②】

 拙著『増補版 幣原喜重郎──外交と民主主義』(吉田書店、2017年)が刊行されました。

11年前に出された拙著『幣原喜重郎と二十世紀の日本──外交と民主主義』(有斐閣、2006年)の増補版です。

 文献解題や史料などを合わせて、496頁になりました。

 吉田書店のホームページでは、こちらになります。

 吉田書店には、膨大な作業をこなしていただきました。

 また、有斐閣は、他社での増補版刊行を認めて下さいました。

 関係各位に深く御礼を申し上げます。

 なお、拙著『東アジア国際環境の変動と日本外交 1918-1931』(有斐閣、2001年)は第6刷になりました。


【2017年4月】

 外務省外交史料館から、『日本外交文書』などが発行されました。

    外務省編『日本外交文書 占領期 第1巻(占領政策への対応)』(外務省、2017年1月)

    外務省編『日本外交文書 占領期 第2巻(外交権の停止・日本国憲法の制定・中間賠償・他)』(外務省、2017年1月)

    『外交史料館報』第30号、2017年3月


【2017年3月②】

 拙稿「栗山尚一元駐米大使著作目録」(『中央大学論集』第38号、2017年2月)が、中央大学学術リポジトリにアップロードされました。

 栗山尚一/服部龍二編『戦後日本外交 軌跡と課題』(岩波書店、2016年)に収録した『アジア時報』論文には、「〇」を入れてあります。


【2017年3月】

 拙稿「栗山尚一元駐米大使著作目録」(『中央大学論集』第38号、2017年2月)が公表されました。

 栗山大使の遺稿集として、栗山尚一/服部龍二編『戦後日本外交 軌跡と課題』(岩波書店、2016年)を刊行した際に作ったリストです。

 同書では、御家族をはじめ、アジア調査会、外務省、新聞社の方々に御高配をたまわりました。

 同書に「著作目録」を含められればよかったのですが、紙幅の関係で難しかったようです。

 いずれ、中央大学学術リポジトリにアップロードされると思います。


【2017年2月】

 麻田雅文編『ソ連と東アジアの国際政治 1919-1941』(みすず書房、2017年2月)が刊行されました。

 以下にリンクを貼っておきます。

    みすず書房

    Amazon

 拙稿「岡村二一『外相渡歐に随伴して』――記者が語った松岡外相訪欧」が342-375頁に掲載されています。

 といっても、先生方が力作ぞろいなのに対して、拙稿は史料紹介の域を出ないものです。

 編者の麻田先生、編集者の方をはじめ、関係各位に深謝申し上げます。

 助成金を得て、学術的な論文集を刊行するというのは、大変な御尽力と拝察いたします。


【2017年1月②】

 1月12日に外交記録が公開されました。

 今回から、「ファイル概要」の一部に「収録文書の一例」というリンクが貼られています。

 これにより、原本が部分的にオンラインで閲覧できるようになりました。


【2017年1月】

 丸善雄松堂「楠田實資料(佐藤栄作官邸文書)」オンライン版を中央大学図書館に購入していただきました。

 以下にリンクを貼っておきます。

   中央大学図書館データベース

   「楠田實資料」

   「楠田實資料」使用方法

   J-DAC

 差し当たり、第1部が利用できます。

 第2部も購入予定です。

 学外からは、アクセスできません。


【2016年12月】

 國廣道彦/服部龍二・白鳥潤一郎解題『回想 「経済大国」時代の日本外交──アメリカ・中国・インドネシア』(吉田書店、2016年)につきまして、雑誌『外交』11月号、146頁に短評が載りました。

 関係各位に深謝申し上げます。


【2016年11月】

 國廣道彦/服部龍二・白鳥潤一郎解題『回想 「経済大国」時代の日本外交──アメリカ・中国・インドネシア』(吉田書店、2016年)
が刊行されました。

 内容、目次につきましては、こちらに吉田書店のリンクを貼っておきます。

 また、谷野作太郎/服部龍二・若月秀和・昇亜美子編『外交証言録 アジア外交 回顧と考察』(岩波書店、2015年)が第2刷になりました。

 関係各位に深謝申し上げます。


【2016年10月(その2)】

 拙著『田中角栄──昭和の光と闇』(講談社現代新書、2016年)につきまして、書評などが新聞や雑誌に載りました。

   『日本経済新聞』10月16日朝刊21面 書評

   『毎日新聞』10月17日夕刊4面 著者インタビュー

   『エコノミスト』10月18日号、58頁 書評

   『朝日新聞』10月23日朝刊14面 書評

   『伊勢新聞』10月23日朝刊7面 著者インタビュー *

   『山陽新聞』10月24日朝刊10面 著者インタビュー *

   『京都新聞』10月25日朝刊10面 著者インタビュー *

   『徳島新聞』10月25日朝刊9面 著者インタビュー *

   『岐阜新聞』10月26年朝刊10面 著者インタビュー *

   『朝日新聞』10月26日夕刊3面 著者インタビュー ブック・アサヒ・コム

   『高知新聞』10月26日朝刊11面 著者インタビュー *

   『琉球新聞』10月26日朝刊15面 著者インタビュー *

   『福井新聞』10月27日朝刊17面 著者インタビュー *

   『愛媛新聞』11月5日朝刊21面 著者インタビュー *

   『秋田さきがけ』11月7日朝刊10面 著者インタビュー *

   『東奥日報』11月7日朝刊5面 著者インタビュー *

   『山梨日日新聞』11月29日朝刊14面 著者インタビュー *

   『神戸新聞』12月1日朝刊16面 著者インタビュー *

 *は、共同通信社の配信記事です。

 関係各位に深謝申し上げます。


【2016年10月】

 次の拙稿がアップロードされていました。 

   「広田弘毅について」(『比較法制研究』第33号、2010年12月)103-118頁

 2009年12月1日、国士舘大学で行った講演の記録です。

 いまごろになって気づきました。


【2016年9月(その3)】

 数年前のものですが、次の拙稿を公表論文【2013年】にアップロードしておきました。 

   「岡崎嘉平太と中国」(岡山県郷土文化財団岡崎嘉平太記念館『日中国交正常化40周年記念 岡崎嘉平太がめざした世界平和への道を考える 第11回 講演会』岡山県郷土文化財団岡崎嘉平太記念館、2013年1月)1-16頁

 2012年11月3日、吉備高原リゾートホテル多目的ホールで行った講演です。

 ここは、岡崎嘉平太記念館があるところです。

 講演は、日中国交正常化40周年記念に際して、招いて下さったものです。

 「岡崎嘉平太と中国」で用いた史料の一部は、拙稿「2011年12月22日公開ファイル『日中国交正常化』ほか」(『外交史料館報』第26号、2012年12月)で紹介してあります。


【2016年9月(その2)】

 拙著『田中角栄──昭和の光と闇』(講談社現代新書、2016年)が刊行されました。

 執筆中に思いがけずも、田中ブームになったようです。

 快刀乱麻を断つようなストーリーを期待される方がいらっしゃるとすれば、特に後半が、やや辛口に映るかもしれません。

 と申しますのも、首相クラスの政治家でいえば、吉田茂、池田勇人、佐藤栄作、三木武夫、福田赳夫、大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘、竹下登などのほか、田中派、官僚、メディア、世論、秘書、支持者、諸外国の首脳、そしてロッキード裁判の視点も交えてながら、できるだけ立体的に、バランスよく書くように努めました。

 これらのなかには、批判的なことも含まれてきますので、プラスに評価したところもあれば、マイナスに評価したところもあります。

 それでも当然ながら、中心になるのは田中の言動です。

 政策や構想としては、東京一極集中の是正、「限定的改憲論」、「日中裏安保」、石油・エネルギーをめぐる資源外交、北方領土問題の解決などです。

会談記録などについては、公表論文に記したように、一部を誌上で紹介してあります。 

  「田中首相・ニクソン大統領会談記録──1972年8月31日、9月1日」(『人文研紀要』第68号、2010年)

  「2011年12月22日公開ファイル『日中国交正常化』ほか」(『外交史料館報』第26号、2012年)

  「田中首相・スハルト大統領会談録──1974年1月15日」(『外交史料館報』第28号、2014年)

  「田中首相・ヒース首相会談録──1972年9月18、19日」(『外交史料館報』第29号、2016年)

 今後は、このような史料紹介にあまり時間を割けなくなりそうです。



【2016年9月】

 増田弘編著『戦後日本首相の外交思想──吉田茂から小泉純一郎まで』(ミネルヴァ書房、2016年)が刊行されました。

 拙稿「中曽根康弘──新冷戦を越えて」が掲載されています。


【2016年8月】

 拙著『田中角栄──昭和の光と闇』(講談社現代新書、2016年)を進めております。

 9月14日、講談社現代新書から刊行予定です。


【2016年7月】

 授業が終わり、期末試験の時期になりました。

 答案のほか、レポート、プレゼンテーション、出席などをチェックしています。


【2016年6月】

 栗山尚一/服部龍二編『戦後日本外交 軌跡と課題』(岩波書店)が刊行されました。

 『アジア時報』に連載されていた栗山大使の論文を編集したものです。

 校注や解説を担当させていただきました。

 同書では、御家族をはじめ、アジア調査会、外務省、新聞社の方々に御高配をたまわりました。

 また、岩波書店の方々には、絶筆となった遺稿を丹念に仕上げていただきました。

 深く御礼を申し上げます。


【2016年5月】

 栗山尚一/服部龍二編『戦後日本外交 軌跡と課題』(岩波書店)を進めています。

 岩波現代全書の1冊として、6月に刊行予定です。


【2016年4月(その2)

 拙著『中曽根康弘──「大統領的首相」の軌跡』(中公新書、2015年)が、新聞などで引用されました。

    『東奥』Web

    BOOKSTAND



【2016年4月】

 3月刊行の『外交史料館報』第29号が、オンラインで読めるようになりました。

 リンクを貼っておきます。

   拙稿「田中首相・ヒース首相会談録──1972年9月18、19日」(『外交史料館報』第29号、2016年3月)

 PDFで開きます。


【2016年3月】

 拙稿「田中首相・ヒース首相会談録──1972年9月18、19日」(『外交史料館報』第29号、2016年3月)が公表されました。

 ヒースがイギリス首相として初来日し、田中と会談した記録です。

 田中が訪中する数日前だったこともあり、あまり注目されてこなかった感がありそうです。

 外務省外交史料館のホームページにアップロードされたら、リンクを貼るようにします。


【2016年2月(その3)】

 トップページのリンク集にMaruzen eBook Libraryを貼っておきました。

 学内LANからアクセスできます。

 現在、2,981件が閲覧できるようです。

 そのうち、2,318件が東洋経済新報社です。

 歴史関係では、『現代史資料』(みすず書房)、『岩波講座 東アジア近現代通史』(岩波書店)などが閲覧できます。

 印刷は、60頁までに制限されているようです。

 自分の関係する著作がアップロードされることになり、出版社から連絡があったことで気づきました。


【2016年2月(その2)】

 拙著『中曽根康弘──「大統領的首相」の軌跡』(中公新書、2015年)が、第2刷になりました。

 いくつか誤植を直してあります。



【2016年2月】

 谷野作太郎/服部龍二・若月秀和・昇亜美子編『外交証言録 アジア外交 回顧と考察』(岩波書店、2015年)書評されました。

      『日本経済新聞』2月14日23面 佐々木卓也先生

 こちらにリンクを貼っておきます。

 深く御礼を申し上げます。

     〈付記〉霞関会ホームページでも紹介されていました。

          枝村純郎大使によるものです。

          こちらにリンクを貼っておきます。



【2016年1、2月】

 拙著『中曽根康弘──「大統領的首相」の軌跡』(中公新書、2015年)が、新聞や雑誌で取り上げられました。

      『佐賀新聞』1月23日「時言」(コラム)

      『静岡新聞』1月24日「核心核論」(コラム)

      『日本経済新聞』1月24日(書評ですが、無記名なので、記者の方かと存じます)

      『毎日新聞』1月24日 中島岳志先生

      『読売新聞』1月24日 橋本五郎特別編集委員

      『ダイヤモンド』1月24日号 佐藤優元外務省主任分析官 → Book Reviews

      『エコノミスト』1月26日号 井上寿一先生

      『外交』1月号「新刊案内」

      『公明新聞』2月1日

      『岐阜新聞』2月2日夕刊「時言」(コラム)

      『秋田さきがけ』2月3日「杉」(コラム)

      『信濃毎日新聞』2月21日

 関係各位に深謝申し上げます。



【2016年1月】

 拙著『外交ドキュメント 歴史認識』(岩波新書、2015年)が、第3刷になりました。

 本年も皆様にとって、実り多い年になりますことをお祈りいたします。


【2015年12月(その4)】

 佐藤元英・服部龍二編著『日本外交のアーカイブズ学的研究Ⅱ』(中央大学出版部、2016年1月)が刊行されました。

 目次は以下の通りです。

   まえがき 佐藤元英

   第1章 満洲事変における幣原喜重郎外相のリーダーシップ──日本外務省の組織的対応と「5大綱目」をめぐって 熊本史雄

   第2章 戦前期日本外交における中国への「誠意」追求──1934年外陸海3省合意と35年日中大使交換を中心に 冨塚一彦

   第3章 日タイ軍事協定の模索と日米開戦の経緯 佐藤元英

   第4章 田中角栄首相の訪欧と日ソ共同声明──1973年9、10月 服部龍二

   史資料1 満洲事変時に作成された「パラフレイズ済」文書 熊本史雄

   史資料2 日タイ外交史と東アジアの経済発展──2013年5月28日「国際環境問題シンポジウム」講演 佐藤元英

   史資料3 日本外務省調書 1872-1931年 佐藤元英・土田哲夫校訂

   あとがき 佐藤元英

 3年間に及んだプロジェクトの成果です。

 プロジェクトでは、論文の執筆者以外にも、多くの方々にお世話になりました。

 関係各位に深謝申し上げます。


【2015年12月(その3)

 拙著『中曽根康弘──「大統領的首相」の軌跡』(中公新書、2015年)が刊行されました。

 目次は以下の通りです。

   はしがき

   序 章 幼少期──材木商から内務省へ

   第1章 出征と敗戦──海軍主計中尉

   第2章 「青年将校」──野党時代

   第3章 保守合同と初入閣──岸内閣科学技術庁長官

   第4章 「キル・ザ・タイム」から派閥の領袖へ

   第5章 非核三原則と「自主防衛」──佐藤内閣運輸相・防衛庁長官

   第6章 「新自由主義」と石油危機──田中内閣通産相

   第7章 「三角大福中」の時代──幹事長・総務会長・行政管理庁長官

   第8章 首相の一八〇六日──「大統領的首相」を求めて

    Ⅰ 田中角栄の影、積極外交の成果──第一次首相期

    Ⅱ 「太平洋協力」と三公社民営化──第二次首相期

    Ⅲ 三〇四議席の重み──第三次首相期

   終 章 「命の限り蝉しぐれ」──首相退任後の三〇年

   註記

   あとがき

   中曽根康弘関連年表



【2015年12月(その2)

 外務省編『日本外交文書 昭和期Ⅲ 関係調書集』(外務省、2015年)が刊行されました。

 販売は六一書房からとなります。

 以下にリンクを貼っておきます。

   六一書房 

   Amazon


【2015年12月】

 谷野作太郎/服部龍二・若月秀和・昇亜美子編『外交証言録 アジア外交 回顧と考察』(岩波書店、2015年)刊行されました。

 目次を記しておきます。

   はしがき 谷野作太郎

   序 章 チャイナ・ウォッチング──香港総領事館副領事

   第1章 ベトナム戦争の時代──アジア局南東アジア課、経済協力局技術協力課

   第2章 モスクワから北京へ──駐ソ大使館一等書記官、駐中大使館一等書記官

   第3章 福田赳夫首相とASEAN──アジア局南東アジア第二課長

   第4章 大平正芳首相と中国──アジア局中国課長

   第5章 鈴木善幸首相を支えて──総理大臣秘書官

   第6章 中曽根康弘首相と日韓関係──駐韓公使

   第7章 東アジアの激動──アジア局審議官

   第8章 天安門事件──アジア局長(1)

   第9章 金丸訪朝とカンボジア和平──アジア局長(2)

   第10章 歴史問題に取り組む──内閣外政審議室長

   第11章 「世界最大の民主主義国」──駐インド大使

   終 章 世紀転換期の日中関係──駐中国大使

   あとがき 編者一同

   谷野作太郎略歴

 目次は以上です。

 こちらに岩波書店ホームページのリンクを貼っておきます。

 関係各位に深謝申し上げます。


【2015年11月】

 法眼健作/加藤博章・服部龍二・竹内桂・村上友章編『元国連事務次長 法眼健作回顧録』(吉田書店、2015年)が第2刷になりました。

 次の雑誌に書評が掲載されました。

   『外交』2015年11月号

   『週刊新潮』2015年11月12日号

   『図書新聞』2015年11月28日号


【2015年10月(その3)

 外務省外交史料館の別館で、特別展示「日本とブラジルの120年」を拝見いたしました。

 こちらにリンクを貼っておきます。


【2015年10月(その2)

 法眼健作/加藤博章・服部龍二・竹内桂・村上友章編『元国連事務次長 法眼健作回顧録』(吉田書店、2015年)が刊行されました。

 法眼大使は、外務省中近東アフリカ局長、国連事務次長、駐カナダ大使などを歴任した外務官僚です。

 詳細につきましては、吉田書店のホームページに略歴や目次が載っています。


【2015年10月】

 小金井にあります中央大学附属高校の学生を受け入れ、体験授業を行いました。


【2015年9月】

 外務省外交史料館別館の戦後70年企画「降伏文書」「指令第一号」原本特別展示に行ってきました。

 こちらにリンクを貼っておきます。


【2015年8月】

 8月16日の『日本経済新聞』21面に書評を載せました。

 井上寿一『終戦後史 1945-1955』(講談社、2015年)についてです。

 こちらにリンクを貼っておきます。


【2015年7月】

 拙著『外交ドキュメント 歴史認識』(岩波新書、2015年)が第2刷になりました。

 歴史教科書問題についてフォローアップのうえ、第2刷では4頁分を加筆いたしました。


【2015年6月(その2)】

 木村幹先生「今を読み解く 日韓関係と歴史認識問題、相手の考え知る努力を」(『日本経済新聞』6月14日21面)におきまして、拙著『外交ドキュメント 歴史認識』(岩波新書、2015年)が4冊のうちの1冊として紹介されました。

 深く御礼を申し上げます。


【2015年6月】

 次の拙稿が、中央大学 学術リポジトリでアップロードされました。

     「中曽根康弘首相・全斗煥大統領会談録──1983年1月」(『中央大学論集』第36号、2015年2月)51-58頁

 PDFで読めます。


【2015年5月】

 外務省外交史料館の特別展示「日本とペルシャ・イラン」を見学いたしました。

 こちらにリンクを貼っておきます。


【2015年4月】

 拙稿「中曽根康弘首相の外交思想──歴史認識を中心として」(『現代史研究』第11号、2015年3月)が公表されました。

 リンクはPDFで開きます。

 昨年7月、東洋英和女学院大学の現代史研究所で行った講演を抄録したものです。

 関係各位に深謝申し上げます。




【2015年3月(その5)】

 拙著『外交ドキュメント 歴史認識』(岩波新書、2015年)の書評が掲載されました。

   『エコノミスト』第93巻第9号、2015年3月3日、76頁

   『毎日新聞』2015年3月10日夕刊4面

   『読売新聞』2015年3月22日朝刊12面

 関係各位に深謝申し上げます。



【2015年3月(その4)】

 朝賀昭/福永文夫・服部龍二・雨宮昭一・若月秀和編『田中角栄──最後の秘書が語る情と智恵の政治家』(第一法規、2015年)が刊行されました。

 こちらに第一法規のリンクを貼っておきます。

 関係各位に深謝申し上げます。


【2015年3月(その3)】

 拙稿「中曽根康弘首相・全斗煥大統領会談録──1983年1月」(『中央大学論集』第36号、2015年2月)が公刊されました。

 いずれ、中央大学 学術リポジトリでアップロードされると思います。


【2015年3月(その2)】

 12月刊行の『外交史料館報』第28号が、外務省外交史料館のホームページにアップロードされました。

 拙稿「田中首相・スハルト大統領会談録──1974年1月15日」も、掲載されています。

 このリンクは、PDFで開きます。


【2015年3月】

 拙著『外交ドキュメント 歴史認識』(岩波新書、2015年)の書評が、3月1日の『朝日新聞』に掲載されました。

 こちらに同紙のリンクを貼っておきます。

 同書では、多くの方々にお世話になりました。



【2015年2月(その2)】

 中央大学図書館ではデータベースとして、Digital National Security Archive の一部を導入しています。

 新たに

   The United States and the Two Koreas Part I, II, 1969-2010

 を契約していただきました。


【2015年2月】

 『外交史料館報』第28号が刊行されました。

 59-70頁には、拙稿「田中首相・スハルト大統領会談録──1974年1月15日』」が掲載されています。


【2015年1月】

 拙著『外交ドキュメント 歴史認識』(岩波新書、2015年)が刊行されました。

目次は、次の通りです。

   はじめに

   序 章 東京裁判から日韓・日中国交正常化まで

   第1章 歴史教科書問題と「相互信頼」

       1 昭和天皇・鄧小平会見

       2 第一次歴史教科書問題と宮澤談話

       3 昭和天皇・全斗煥会見

       4 中曽根と胡耀邦の「相互信頼」

   第2章 靖国神社公式参拝

       1 中曽根の誤算

       2 中国の靖国観

       3 参拝断念

       4 第二次歴史教科書問題

   第3章 従軍慰安婦問題

       1 海部と盧泰愚

       2 宮澤訪韓と加藤談話

       3 河野談話

       4 細川内閣から村山内閣へ

   第4章 村山談話

       1 村山とその周辺

       2 官僚たち

       3 何を意図したのか

       4 日本政治の共通言語として

   第5章 戦争の世紀を越えて

       1 金大中と江沢民の来日

       2 小泉の靖国参拝

       3 「戦略的互恵関係」のなかで

       4 菅談話から慰安婦問題解決案へ

   終 章 歴史問題に出口はあるか

   参考文献

   あとがき

 目次は以上です。

 本年も皆様にとって、実り多い年になりますことをお祈りいたします。



【2014年12月(その3)】

 『外交ドキュメント 歴史認識』(岩波新書、2015年)を進めています。

 1月20日に刊行予定です。

 今年も多くの方々にお世話になりました。

 どうか、よいお年をお迎え下さい。



【2014年12月(その2)】

 小川原宏幸ほか『岩波講座 日本歴史 第17巻 近現代3』(岩波書店、2014年12月)が刊行されました。

 拙稿「政党内閣、宮中とワシントン体制」が、141-172頁に掲載されています。

 こちらにリンクを貼っておきます。

 同書では、編集委員の先生方をはじめ、多くの方々にお世話になりました。


【2014年12月】

 拙稿「〈書評〉種稲秀司著『近代日本外交と「死活的利益」──第2次幣原外交と太平洋戦争への序曲』」(『国史学』第214号、2014年)が公表されました。

 修正が2カ所でうまく反映されなかったようです。

 以下に訂正させていただきます。

    ・119頁上段
     誤:まえがきで
     正:まえがきは

    ・124頁上段
     誤:対照的な接近といえよう
     正:対照的といえよう


【2014年11月】

 外務省編『日本外交文書 昭和期Ⅲ 第3巻 (昭和12-16年 移民問題・雑件)』(外務省、2014年)が刊行されました。

 こちらにリンクを貼っておきます。

 これで戦前については、一通り、公刊されたことになるようです。


【2014年10月(その2)】

 徳富蘇峰記念館を訪れました。

 記念館は神奈川県二宮町にあり、書簡や色紙、著作などが多く所蔵されています。

 西郷隆盛の外套もありました。

 記念館の方々に大変にお世話になりました。

 こちらにリンクを貼っておきます。


【2014年10月】

 次の拙稿が公刊されました。

    「日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動」(北岡伸一・歩平編『「日中歴史共同研究」報告書 第2巻 近現代史篇』勉誠出版、2014年)163-195頁

 論題は、日中委員間の協議で決まっていたものです。

 拙著『日中歴史認識――「田中上奏文」をめぐる相剋 1927‐2010』(東京大学出版会、2010年)でも、日中歴史共同研究について論及させていただきました。

 関係各位に深謝申し上げます。


【2014年9月(その2)】

 外務省外交史料館特別展示「マッサン展」を見学いたしました。

 日本・スコットランド関係史の一面を展示したものです。

 こちらにリンクを貼っておきます。

 NHKのドラマも始まるようです。


【2014年9月】

 『毎日新聞』9月9日朝刊の記事に協力しました。

 「昭和天皇実録」についてです。


【2014年8月(その2)】

 『東京新聞』8月14日、『中日新聞』8月14日の記事に協力しました。

 太平洋戦争中の日ソ外交記録についてです。


【2014年8月】

 高原明生・服部龍二編『日中関係史 1972-2012 Ⅰ 政治』(東京大学出版会、2012年)など全4巻が中国語訳されました。

 北京の社会科学文献出版社です。

 中国側の事情により、2つの章が削除されました。

 いくつか記事のリンクを貼っておきます。

   時事ドットコム

   毎日新聞


【2014年7月】

 東洋英和女学院大学の現代史研究所で講演いたしました。

 「中曽根康弘首相の外交思想」というテーマです。

 増田弘先生をはじめ、関係各位に大変にお世話になりました。


【2014年6月(その3)】

 6月15日の『北海道新聞』にも書評が掲載されていました。

 信田智人先生によるものです。

 こちらにリンクを貼っておきます。

 深く御礼を申し上げます。


【2014年6月(その2)】

 2つの研究会で、大平正芳について報告させていただきました。

 また、6月21日の『図書新聞』で、拙著『大平正芳 理念と外交』(岩波書店、2014年)が書評されました。

 こちらにリンクを貼っておきます。

 関係各位に深謝いたします。


【2014年6月】

 6月1日の『日本経済新聞』朝刊23面で、拙著『大平正芳 理念と外交』(岩波書店、2014年)が書評されました。

 関係各位に深く御礼を申し上げます。


【2014年5月(その2)】

 5月19日の『四国新聞』朝刊1面コラム「一日一言」で、拙著『大平正芳 理念と外交』(岩波書店、2014年)が紹介されました。

 こちらにリンクを貼っておきます。

 共同通信による配信記事のため、他紙にも掲載されたのかもしれません。

 関係各位に深謝申し上げます。

〈付記〉

 次の紙面でも紹介されました。

   『秋田さきがけ』5月20日朝刊17面コラム「杉」

   『静岡新聞』5月20日朝刊3面コラム「核心核論」

   『佐賀新聞』5月21日朝刊5面コラム「時言」

   『山形新聞』5月22日朝刊6面コラム「時鐘」


【2014年5月】

 5月4日の『読売新聞』で、次の回想録が書評されました。

   長谷川和年/瀬川高央・服部龍二・若月秀和・加藤博章編『首相秘書官が語る中曽根外交の舞台裏――米・中・韓との相互信頼はいかに構築されたか』(朝日新聞出版、2014年)

 評者は、橋本五郎特別編集委員です。

 「内閣発足直後の電撃的な韓国訪問の舞台裏も薄皮が剝がれるように明らかになっている」などと論じられています。


【2014年4月(その5)】

 『週刊エコノミスト』4月8日号「話題の本」で、次の回想録が書評されました。

   長谷川和年/瀬川高央・服部龍二・若月秀和・加藤博章編『首相秘書官が語る中曽根外交の舞台裏――米・中・韓との相互信頼はいかに構築されたか』(朝日新聞出版、2014年)

 「『ロン・ヤス』関係構築の経緯など、表に出ていない歴史的証言が多い」などと論じられています。


【2014年4月(その4)】

 門外漢ながら、常松隆嗣『近世の豪農と地域社会』(和泉書院、2014年)を拝読いたしました。

 こちらに出版社のリンクを貼らせていただきます。

 豪農だった幣原家などが分析されています。

 幣原喜重郎の父、新治郎は旧来型地主の志向と異なり、明治の教育制度下で国家に有用な人材を輩出しようとした点で、新しい地主の姿として捉えられるそうです(308-309頁)。


【2014年4月(その3)】

 拙著『大平正芳 理念と外交』(岩波書店、2014年)が刊行されました。

 大平正芳の評伝です。

 岩波書店ホームページに目次が記されています。

 「理念と外交」は副題ではなく、正題に含まれるようです。

 つまり、『大平正芳──理念と外交』のような「──」は不要で、『大平正芳 理念と外交』という書名になるとのことです。

 厳密には、『大平正芳 理念と外交』にように、「理念と外交」が小さくなるそうです。

 同書では政治家や官僚、新聞記者などにお話を聞かせていただきました。

 大平正芳記念館、御遺族をはじめ、多くの方々にお世話になりました。

 深く御礼を申し上げます。

 先行研究に教わることも大きかったです。

 凡例ⅶ頁に書かれていますように、文中の出典では同一姓が複数ある場合、ファーストネームの1字だけを表記しています。

 私にとっては初めての表記方法でしたが、岩波現代全書ではそのような要領だそうです。

 外務省記録については、以前、マイクロフィルムやCDで公開された史料についても、原本を確認いたしました。

 そでの写真は、香川にある大平生誕の地です。

 そでというのは、カバーを折り返した部分のことです。

 「内閣総理大臣 大平正芳誕生之地 鈴木善幸書」という石碑の隣で写したのですが、サイズの都合から石碑はカットされ、背後には電柱だけが残ってしまいました。

 伝記的研究としては、『幣原喜重郎と二十世紀の日本――外交と民主主義』(有斐閣、2006年)『広田弘毅――「悲劇の宰相」の実像』(中公新書、2008年)に続くものとなりました。

 あいにくと、『幣原喜重郎と二十世紀の日本――外交と民主主義』(有斐閣、2006年)は、少し前に品切れとなってしまいました。


【2014年4月(その2)】

 拙稿「大平・蒋介石・沈昌煥会談記録――1964年7月」(『外交史料館報』第27号、2013年12月)につきまして、リンクを貼り直しました。

 『外交史料館報』第27号は、拙稿に限らず全文が読めるようになりました。

 同誌については、大学院生のころから参考にさせていただいております。

 バックナンバーは、すべて古本屋で購入しておりました。


【2014年4月】

 次の史料が刊行されました。

   外務省編『日本外交文書 昭和期Ⅲ 第1巻 昭和12-16年 外交政策・外交関係』(外務省、2014年)

   外務省編『日本外交文書 昭和期Ⅲ 第2巻 昭和12-16年 欧州政情・通商問題』(外務省、2014年)

 第3巻は、後日となりました。


【2014年3月(その2)】

 3月16日『日本経済新聞』朝刊25面で、次の本が書評されました。

   長谷川和年/瀬川高央・服部龍二・若月秀和・加藤博章編『首相秘書官が語る中曽根外交の舞台裏――米・中・韓との相互信頼はいかに構築されたか』(朝日新聞出版、2014年)

 「官邸主導の実相、各国との情報戦、突発的な事件への対処など政治の最前線の動きが詳述されている」などと論じられています。

 そういえば、長谷川大使が仕えた中曽根康弘元首相は、次のように述べていますね。

   とにかく一番いけないのは、本人に会わず論評したり書いたりすることですよ。
   私もずいぶん書かれましたが、実際に取材にやってきたのはそんなに多くなかった。
   ほとんどは無責任な他人の記事や噂話の孫引きです。

     〈出典〉中曽根康弘・伊藤隆・佐藤誠三郎『天地有情』(文藝春秋、1996年)358頁


【2014年3月】

 次の拙稿が公表されました。

   「連立政権合意文書――1993-2012」(『中央大学論集』第35号、2014年2月)67-102頁

 リンクは、PDFで開きます。

 細川護熙内閣から第2次安倍晋三内閣までの合意文書をまとめたものです。


【2014年2月(その2)】

 次の本が刊行されました。

   長谷川和年/瀬川高央・服部龍二・若月秀和・加藤博章編『首相秘書官が語る中曽根外交の舞台裏――米・中・韓との相互信頼はいかに構築されたか』(朝日新聞出版、2014年)

 15回のインタビューをもとにした回想録です。

 中曽根康弘総理秘書官時代に最も紙幅が割かれています。

 副題に示されたように、今日に何か示唆するところがあればと思います。

 朝日新聞出版の編集者、校閲者の方々が、極めて丹念に仕上げて下さいました。

 内容については、瀬川高央先生の編者あとがきが適確に分析されています。

 関係各位に深く御礼を申し上げます。


【2014年2月】

 2月9日の『日本経済新聞』朝刊23面に書評を掲載していただきました。

 書評の対象は、本田良一『日ロ現場史 北方領土――終わらない戦後』(北海道新聞社、2013年)です。

 同書について、こちらにリンクを貼っておきます。

  昨晩は大雪のため、久しぶりに大学に泊まりました。


【2014年1月(その2)】

 拙稿「大平・蒋介石・沈昌煥会談記録――1964年7月」(『外交史料館報』第27号、2013年12月)が公表されました。

 リンクをクリックすると、PDFで開きます。

 大平正芳が池田勇人内閣の外相として台湾を訪れたときの史料紹介です。

 生涯で唯一の訪台でした。

 マイクロフィルムで読まれてきた記録ではありますが、原文書で確認いたしました。

 1月31日公表分の外交記録公開目録を見ると、鈴木善幸内閣期ごろまで移管されつつあるようですね。


【2014年1月】

 拙著『広田弘毅──「悲劇の宰相」の実像』(中公新書、2008年)が電子書籍になりました。

 拙著『日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)も月末には電子書籍になるようです。

 電子書籍にはリフロー型とフィックス型があるようでして、ほとんどはリフロー型のようです。

リフロー型はXMDFやEPUB3.0で、自由にレイアウトを変えられます。

 中公新書もリフロー型です。

 リフロー型では紙媒体での頁数とずれてしまうため、学術書や論文での引用には向かないようです。

 研究用にはフィックス型が広まってほしいのですが、なかなかそうはならないようですね。

 フィックス型は、写真を主体とした本などに限られるようです。

これは英語の電子書籍にも当てはまるようです。

Googleブックスなどではフィックス型もありますが、なぜか頁数が欠落するようです。

 今年は、『広田弘毅』以来となる評伝を執筆したいと思っております。

 本年も、ご指導ご鞭撻のほどをよろしくお願い申し上げます。

 

【2013年12月(その4)】

 拙稿「〈書評〉大平正芳/福永文夫監修『大平正芳全著作集』全7巻」が東京財団ホームページに掲載されました。

 10月の書評報告を活字にしたものです。

 コーディネーターの先生方や事務当局の方々には、大変にお世話になりました。

           

【2013年12月(その3)】

 短くですが、12月16日の『日本経済新聞』電子版にインタビューが掲載されました。

田中角栄に関するもので、「没後20年 この10冊」という記事です。

 こちらにリンクを貼っておきます。


【2013年12月(その2)】

 拙稿「田中角栄元首相 没後20年に思う」が、12月14日の『新潟日報』に掲載されました。

 いくつかインタビューを引用させていただきました。


【2013年12月】

 京都大学にて、中国関係のシンポジウムに出席いたしました。

 第2回中国当代史研究ワークショップ「人民共和国史――今どこまで解明されるのか」です。

 主催は京都大学人文科学研究所でした。

 こちらにリンクを貼っておきます。

 PDFで開きます。

 人間文化研究機構現代中国地域研究」の一環で、とても有意義でした。

 関係各位に深謝申し上げます。

 キャンパス内がとても整備されていて、20年以上前の在学時とは大きく変わっていました。

 いまの学生さんたちが、うらやましく感じました。

 京都では3泊し、今年、3回目の京都訪問になりました。


【2013年11月(その3)】

 日本防衛学会にて、司会をおおせつかりました。

 戦後安全保障・外交史部会で、「『同盟の制度化』と沖縄返還」というテーマでした。

 報告者が吉田真吾先生、中島琢磨先生、討論者が栗山尚一大使でした。

 こちらにリンクを貼っておきます。


【2013年11月(その2)】

 『岩波講座 日本歴史 第17巻 近現代3』に向けて、論文を進めています。

 大正後期から昭和初期の政治外交史について、研究や史料を読み直しているところです。

 近年の傾向として、宮中の動向が精緻にたどれるようになっています。

 そのことと、政党政治や対外関係をいかに結び付けて書くべきなのか、悩ましいところですね。


【2013年11月】

 中央大学政策文化総合研究所分科会の主催による研究会にて、次の本を取り上げました。

    
王雪萍編『戦後日中関係と廖承志――中国の知日派と対日政策』(慶應義塾大学出版会、2013年)

 編者の王先生が、対日政策過程における廖班の役割、中国や台湾の史料状況、インタビューなどについて、報告して下さいました。

 執筆者の大澤武司先生、山影統先生、杉浦康之先生、井上正也先生も参加して下さり、引き揚げ、LT貿易、東京連絡事務所、自民党親中派などについて、論じられました。

 実務に携わった方々からも、有意義なコメントをたまわりました。

 会場には、東京大学駒場キャンパスをお借りしました。


【2013年10月】

 東京財団の政治外交検証プロジェクトにて、大平正芳/福永文夫監修『大平正芳全著作集』全7巻(講談社、2010-2012年)を紹介させていただきました。

 全巻の構成については、こちらに講談社のリンクを貼っておきます。

 今秋は内外の委員などにより、学会には、ほとんど出席できずにいます。

           

【2013年9月(その3)】

 香川県観音寺市の大平正芳記念館を訪れました。

 記念館は旧大平事務所で、遺品や蔵書、写真などが展示されています。

 豊浜町の生家跡、キリスト教の洗礼を受けた場所、墓地にも行きました。

 墓碑は瀬戸内海を臨んでいます。

 豊浜八幡神社、香川県立観音寺第1高等学校には、大平の銅像、胸像がありました。

 大平正芳記念館とは別に、豊浜町中央公民館に大平記念館があり、書簡、賞状、勲章、写真などのほか、幼少期に愛用した机が飾られています。

 現地では、何人かの方々に案内していただきました。

 深く御礼を申し上げます。

 観音寺には、母神(はがみ)温泉という温泉もあるのですね。


【2013年9月(その2)】

 リンクケーブルという物をご存じでしょうか。

 2台のパソコンをつなぐケーブルです。

 これを使うと、パソコン間でファイルドラッグ&ドロップできます。

 近年のリンクケーブルは、マウス操作がパソコン間を往復でき、キーボードを共有できるようになっています。

 これにデュアルディスプレイ、マルチモニターを組み合わせると、能率が上がりそうですね。


【2013年9月】

 外務省外交史料館に通っています。

 日華平和条約の文書を読み返すなどしております。


【2013年8月(その4)】

 東アジア国際政治史研究会にて、次の本を取り上げさせていただきました。

   服部聡『松岡外交――日米開戦をめぐる国内要因と国際関係』(千倉書房、2012年)

   吉田真吾『日米同盟の制度化』(名古屋大学出版会、2012年)

   中島琢磨『沖縄返還と日米安保体制』(有斐閣、2012年)

 森茂樹先生、山本章子様、平良好利先生が書評報告して下さいました。

 3人の著者には、討論者として参加していただきました。

 後2者については、戦後外交史研究会と共催にさせていただきました。

 
長く参照され続けるであろう研究書だけに、とても勉強になりました。


【2013年8月(その3)】

 期末試験とレポートの採点、そして追試がようやく終わりました。

 中旬には、府中市の多磨霊園に行ってきました。

 広大な霊園にはバス通りがあり、バス停は4つもありました。

 有田八郎、中島知久平、大平正芳の墓が、同じ区画にあるのですね。


【2013年8月(その2)】

 拙稿「日中対話のパイプをどう取り戻すか」(『中央評論』第284号)が公表されました。

 2012年11月、NHKラジオ第1放送「ラジオ深夜便」に出演したときの内容です。

 「日中対話のパイプをどう取り戻すか」というのは、NHKラジオが付けて下さった番組名です。

 日本では総選挙直前で、中国では習近平の国家主席就任が確実視されていたころです。

 番組では、村島章惠ディレクターにお世話になりました。

 不十分なところもあるかと存じますが、中央大学の雑誌『中央評論』に掲載させていただきました。


【2013年8月】

 『日本経済新聞』8月3日の「NIKKEI プラス1」1面、「日本史に夢中になれる本」アンケートに協力させていただきました。


【2013年7月(その4)】

 『日本経済新聞』7月28日朝刊4面「永田町インサイド」にコメントが掲載されました。


【2013年7月(その3)】

 大芝亮編『日本の外交 第5巻 対外政策 課題編』(岩波書店、2013年)が刊行されました。

 『日本の外交』全6巻のうち第5巻で、バラエティに富んだ内容になっているようです。

 第5巻には、拙稿「歴史認識問題――相剋と和解」が含まれています。

 編者、編集者をはじめ、諸先生方に大変にお世話になりました。


【2013年7月(その2)】

 高原明生・服部龍二編『日中関係史 1972-2012 Ⅰ 政治』(東京大学出版会、2012年)が第2刷になりました。

 同書では、多くの方々に大変にお世話になりました。

 ちょうどいま、大学院の授業で読んでいるところです。

 大学院生のご指摘にも、学ぶところが多くあります。


【2013年7月】

 7月6日『産経新聞』朝刊6面「ニッポンの分岐点」にコメントが掲載されました。


【2013年6月(その2)】

 6月29日『朝日新聞』夕刊4面「昭和史再訪」にコメントが掲載されました。


【2013年6月】

 6月20日『読売新聞』朝刊4面「語る」にインタビュー記事が掲載されました。


【2013年5月】

 次の2冊が刊行されました。

    外務省編『日本外交文書 第二次欧州大戦と日本 第二冊上 大戦の諸相と対南方施策』(六一書房、2013年)

    外務省編『日本外交文書 第二次欧州大戦と日本 第二冊下 大戦の諸相と対南方施策』(六一書房、2013年)

 そういえば、Foreign Relations of the United States, 1977–1980, Volume XIII, China が公開されたようですね。

 こちらにリンクを貼っておきます。


【2013年4月(その5)】

 少し前のことですが、中央大学図書館に次のデータベースを入れてもらいました。

   The Chinese Civil War and U.S.-China Relations: Records of the U.S. State Department's Office of Chinese Affairs, 1945-1955(国共内戦と米中関係 1945-1955

 こちらにリンクを貼っておきます。

 国内でアクセス権のある図書館は、いまのところ多くないようです。

 Archives Unboundの一部です。

 Archives Unboundについては、こちらにリンクを貼っておきます。

 PDFで開きます。


【2013年4月(その4)】

 ある科研費研究会で報告させていただきました。

 会場は、東京大学駒場キャンパスでした。

 報告といっても、半ば史料紹介的なものです。

 高名な先生が多くて、緊張しました。

 貴重なコメントをたまわりましたことに深謝申し上げます。

 これに関連して、いくつか公表論文にアップロードしておきました。


【2013年4月(その3)】

 1990年代までに研究を開始した方であれば、マイクロフィルムで史料を撮影した経験がおありかもしれません。

 史料館でデジカメ撮影やパソコン使用が制限され、アジア歴史資料センターもなかったころです。

 このため、マイクロフィルムを何本か個人所持している方も少なくないと思います。

 近年では、マイクロフィルムを電子化できるようになりました。

 多くの大学では、マイクロフィルムスキャニングの機器を購入しているようです。

 マイクロフィルムの電子化を請け負う業者もあるようで、先日、国際マイクロ写真工業社に依頼しました。

 20本当たり4万円で、マイクロフィルムを電子化できました。

 日本やアメリカで撮影したマイクロフィルムが、パソコンで読めるようになりました。


【2013年4月(その2)】

 折田正樹/服部龍二・白鳥潤一郎編『外交証言録 湾岸戦争・普天間問題・イラク戦争』(岩波書店、2013年)が、4月7日『日本経済新聞』朝刊20面で書評されました。

 署名はありませんが、記者の方によるものかと存じます。

 書評で紹介されているのは、海部俊樹首相秘書官として迎えた湾岸戦争、北米局長として橋本龍太郎首相を支えた普天間返還交渉などです。

 「国益がぶつかる外交の最前線がかなり人間くさい場であることもわかる」と結ばれています。


【2013年4月】

 佐藤元英・武山眞行・服部龍二編著『日本外交のアーカイブズ学的研究』(中央大学出版部、2013年)が刊行されました。

 共同研究の成果物です。

 諸論文のほか、武山眞行・佐藤元英校訂「条約書目録(日本外務省)――アメリカ国務省・議会図書館作成マイクロフィルム」が「付録」となっています。

幕末から1945年に至る外務省所蔵の条約調印書、批准書を一覧表にしたものです。

 同書には、拙稿「日ソ不可侵条約問題──外務省座談会の記録から」も所収となっています。

 日ソ不可侵条約とは、大正末期から昭和戦前期にソ連側から断続的に提起され、不成立に終わったものです。

 外務省では、日ソ不可侵条約について占領期に座談会を行っており、その記録を拙稿では紹介しました。

 これに類するものとしては、日独伊防共協定を中心とする座談会があり、外務省編『日本外交文書 第二次欧州大戦と日本 第1冊 日独伊三国同盟・日ソ中立条約』(外務省、2012年)に収録されています。


【2013年3月(その3)】

 3月24日の『日本経済新聞』朝刊21面に書評を掲載しました。

 川田稔『戦前日本の安全保障』(講談社現代新書、2013年)に対するものです。


【2013年3月(その2)】

 拙稿「後宮虎郎アジア局第2課長研修所講演速記『日華平和条約交渉経緯』1952年6月25日」が、『中央大学論集』第34号、1-22頁に掲載されました。

 後宮(うしろく)の講演速記録速記録を紹介したものです。

 後宮は当時アジア局第2課長として、日華平和条約の交渉に当たっていました。

 アジア局長、駐韓国大使などを歴任する後宮ですが、回想録は残していないようです。

 原文は縦書き96頁です。

 先行研究で引用されていますものの、全文の紹介は初めてかと思います。

 以下のような誤植が残ってしまいました。

    2頁下段15行目 (誤) 本稿18頁

               (正) 本稿19頁


【2013年3月】

 雑誌『歴史街道』4月号にインタビュー記事が掲載されました。

 PHPの方が、うまくまとめて下さいました。


【2013年2月(その2)】

 折田正樹/服部龍二・白鳥潤一郎編『外交証言録 湾岸戦争・普天間問題・イラク戦争』(岩波書店、2013年)が刊行されました。

 湾岸戦争、普天間返還交渉、イラク戦争、国連改革など、歴史研究としてはもとより、今日にも示唆するところがありそうです。

 インタビューは、白鳥潤一郎氏と2人で行いました。


【2013年2月】

 拙稿「岡崎嘉平太と中国」が、次の小冊子に掲載されました。

   岡山県郷土文化財団岡崎嘉平太記念館『日中国交正常化40周年記念 岡崎嘉平太がめざした世界平和への道を考える 第11回 講演会』(岡山県郷土文化財団岡崎嘉平太記念館、2013年1月)1-16頁

 昨年11月、岡山の岡崎嘉平太記念館で行った講演の記録です。

 ほぼ同じ内容は、拙稿「『井戸を掘った人を忘れない』――岡崎嘉平太と周恩来」(『日経ビジネスオンライン』2012年11月9日)としても公表しています。


【2013年1月(その11)】

 1月25日、TBSテレビ「NEWS 23 クロス」に録画で出演しました。


【2013年1月(その10)】

 中央大学政策文化総合研究所にて、石井明先生のご講演「外交と文書による合意・暗黙の合意――戦後日中関係に焦点をあてて」を拝聴しました。

 こちらにリンクを貼っておきます。


【2013年1月(その9)】

 『外交史料館報』第26号(2012年12月)が公刊されました。

 河野康子先生、宮城大蔵先生の講演録、『日本外交文書 第二次欧州大戦と日本 第一冊 日独伊三国同盟・日ソ中立条約』概要などが掲載されています。

 同誌には、拙稿「2011年12月22日公開ファイル『日中国交正常化』ほか」を寄稿いたしました。

 拙稿は、外交記録公開のうち、平成23年12月22日、平成24年7月31日に公開されたファイルの一部を紹介したものです。

 したがいまして、史料紹介の域を出ないものです。


【2013年1月(その8)】

 中央大学図書館に Digital National Security Archive (DNSA) Japan and the United States: Diplomatic, Security, and Economic Relations, part 3 を入れてもらいました。

 こちらにリンクを貼っておきます。

 パート3には、1961年から2000年の日米関係文書、約900点が収録されています。

 パート1が1960年から1976年、パート2が1977年から1992年となっています。

 まとめて検索できるようですね。 


【2013年1月(その7)】

 京都に出張しました。

 龍谷大学の先生方に大変お世話になりました。


【2013年1月(その6)】

 1月6日『日本経済新聞』朝刊19面に、中曽根康弘/中島琢磨・服部龍二・昇亜美子・若月秀和・道下徳成・楠綾子・瀬川高央編『中曽根康弘が語る戦後日本外交』(新潮社、2012年)の書評が掲載されました。

 評者は、添谷芳秀先生です。

 こちらにリンクを貼っておきます。

 保守主義の内実、「非核中級国家」、日米関係とアジアとの共生などについて、論じて下さっています。

 明示的には記されていませんが、添谷先生の持論「ミドルパワー」外交とも関連するものと思います。

 この場をお借りして、深く御礼を申し上げます。


【2013年1月(その5)】

 1月5日『北海道新聞』夕刊で、中曽根康弘/中島琢磨・服部龍二・昇亜美子・若月秀和・道下徳成・楠綾子・瀬川高央編『中曽根康弘が語る戦後日本外交』(新潮社、2012年)が紹介されました。


【2013年1月(その4)】

 新潟日報社編『にいがたの記憶』下巻(新潟日報事業社、2012年)が刊行されました。

 8頁にインタビューが掲載されています。


【2013年1月(その3)】

 新潟日報社編『日中国交正常化――いま明かされる舞台裏』(新潟日報事業社、2012年)が刊行されました。

 昨年7月26日に開催されたシンポジウムの記録です。

 シンポジウムでは、パネリストとして参加させていただきました。

 同書の刊行に際して、「日中国交正常化を読み解く」を寄稿いたしました。

 関係者へのインタビューなども掲載されています。


【2013年1月(その2)】

 五百旗頭真編著/周永生等訳『日美関係史』(北京:世界知識出版社、2012年)が刊行されました。

 五百旗頭真編『日米関係史』(有斐閣、2008年)の中国語訳です。

 1920年代から1930年代の一部を担当いたしました。


【2013年1月】

 明けましておめでとうございます。

 年末に拙著『日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)第6刷になりました。

 次の2カ所で、修正すべきところが残ってしまいました。

    ①226頁上段、1、2行目

       誤 ……戦後日本外交史(仮)』(新潮社、二〇一二年)

        正 ……戦後日本外交』(新潮社、二〇一二年)

    ②252頁下段、最後から4行目

       誤 戦後日本外交史(仮)』(新潮社、二〇一二年刊行予定)

       正 戦後日本外交』(新潮社、二〇一二年)

 中曽根康弘/中島琢磨・服部龍二・昇亜美子・若月秀和・道下徳成・楠綾子・瀬川高央編『中曽根康弘が語る戦後日本外交』(新潮社、2012年)が刊行されたことに伴う修正です。

 読者の方々に申し訳なく思います。

 そういえば、中公新書、岩波新書、講談社現代新書の合同フェアがあるようですね。

 帯を見て知りました。

 本年も、ご指導のほどをよろしくお願い申し上げます。


【2012年12月(その8)】

 普段なかなか時間がとれないので、冬休みぐらいは集中して原稿や校正を進めなければ……と思うのですが、ギアチェンジできずにいます。

 なんとか年賀状は12月25日までに出せました。

 アメリカと韓国の大統領選挙、中国共産党大会、そして日本の総選挙と、政局の節目となる年でしたね。

 今年刊行した本は、次の通りです。

   高原明生・服部龍二編『日中関係史 1972-2012 Ⅰ 政治』(東京大学出版会、2012年)

   中島敏次郎/井上正也・中島琢磨・服部龍二編『外交証言録 日米安保・沖縄返還・天安門事件』(岩波書店、2012年)

   中曽根康弘/中島琢磨・服部龍二・昇亜美子・若月秀和・道下徳成・楠綾子・瀬川高央編『中曽根康弘が語る戦後日本外交』(新潮社、2012年)


   拙著『さかのぼり日本史 昭和 “外交敗戦”の教訓――なぜ、日米開戦は避けられなかったのか』(NHK出版、2012年)

 いずれも、多くの方々に支えていただきました。

どうかよいお年をお迎え下さい。


【2012年12月(その7)】

 拙著『広田弘毅──「悲劇の宰相」の実像』(中公新書、2008年)が第6刷になりました。

 新しくなった帯には、ある高名な先生の短評が載せられていて、襟を正す思いです。

 30代最後の本でしたので、少し懐かしく感じました。

 数年前から別の評伝を準備しつつあります。


【2012年12月(その6)】

 12月23日『日本経済新聞』朝刊21面に書評を掲載しました。

 早野透『田中角栄』(中公新書、2012年)に対するものです。

 こちらにリンクを貼っておきます。

 同日の『日本経済新聞』朝刊2面では、大石格編集委員「田中政治は終わったのか」も、早野透『田中角栄』に論及しています。

 早野先生には、個人的にも田中角栄についてお聞きしたことがあります。


【2012年12月(その5)】

 リーフレット「日中 これまでの40年、これからの40年」を執筆しました。

 東京大学出版会によるブックフェア用です。

 簡単な紹介とともに、40数冊を挙げました。

 気づくのが遅れましたが、大学生協などで配布されているようです。


【2012年12月(その4)】

 Foreign Relations of the United States, 1969–1976, Volume XXVII, Iran; Iraq, 1973–1976 が公開されました。

 こちらにリンクを貼っておきます。


【2012年12月(その3)】

 『AERA』12月17日号にアンケートが掲載されました。

 総選挙に関するものです。


【2012年12月(その2)】

 12月9日『毎日新聞』朝刊で、高原明生・服部龍二編『日中関係史 1972-2012 Ⅰ 政治』(東京大学出版会、2012年)が今年の3冊に選ばれました。

 こちらに『毎日新聞』ホームページのリンクを貼っておきます。


【2012年12月】

 貴志俊彦・松重充浩・松村史紀編『二〇世紀満洲歴史事典』(吉川弘文館、2012年)が刊行されました。

 総説、付録、索引も完備されていて、とても特色ある事典に仕上がっています。

 「日満議定書」「日ソ中立条約」「リットン調査団」を担当いたしました。


【2012年11月(その6)】

 11月27日、NHKラジオでお話ししました。

 こちらに番組ホームページのリンクを貼っておきます。

 村島章恵アナウンサーにお世話になりました。

 日中関係を歴史的に振り返り、今後を考えるような番組でした。

放送が午前1時過ぎからでしたので、聞いて下さった方は多くないかもしれませんが、とてもいい経験になりました。


【2012年11月(その5)】

 11月25日『日本経済新聞』で、高原明生・服部龍二編『日中関係史 1972-2012 Ⅰ 政治』(東京大学出版会、2012年)、服部健治・丸川知雄編『日中関係史 1972-2012 Ⅱ 経済』(東京大学出版会、2012年)園田茂人編『日中関係史 1972-2012 Ⅲ 社会・文化(東京大学出版会、2012年)が書評されました。

 こちらに『日本経済新聞』ホームページのリンクを貼っておきます。

 評者は、飯野克彦論説委員です。

 この場をお借りして、御礼を申し上げます。


【2012年11月(その4)】

 11月11日『読売新聞』で、高原明生・服部龍二編『日中関係史 1972-2012 Ⅰ 政治』(東京大学出版会、2012年)、服部健治・丸川知雄編『日中関係史 1972-2012 Ⅱ 経済』(東京大学出版会、2012年)園田茂人編『日中関係史 1972-2012 Ⅲ 社会・文化(東京大学出版会、2012年)が紹介されました。

 こちらに『読売新聞』ホームページのリンクを貼っておきます。

 こちらに東京大学出版会ホームページのリンクを貼っておきます。


【2012年11月(その3)】

 11月10日『朝日新聞』「be on Saturday」b3面、「サザエさんをさがして 日中国交正常化」にコメントが載りました。


【2012年11月(その2)】

 拙稿「『井戸を掘った人を忘れない』――岡崎嘉平太と周恩来」が、『日経ビジネスオンライン』で公開されました。

 こちらにリンクを貼っておきます。

 岡崎嘉平太記念館での講演「岡崎嘉平太と中国」に加筆したものです。

 『日経ビジネスオンライン』への掲載では、「『井戸を掘った人を忘れない』――岡崎嘉平太と周恩来」と論題を変更しました。

 岡崎嘉平太記念館と『日経ビジネスオンライン』のご好意により、転載を認めていただきました。

 この場をお借りして、深く御礼を申し上げます。


【2012年11月】

 岡山の岡崎嘉平太記念館に行って来ました。

 在来線の事故により、新幹線に乗り遅れたときは焦りましたが、2年ぶりの訪問となりました。

今回は展示を拝見したうえで、11月3日に「岡崎嘉平太と中国」と題して講演いたしました。

全日空社長だった岡崎は、LT貿易、覚書貿易などを通じて、日中関係に尽力したことでも知られています。

 この機会に岡崎の著作を読み返しました。

講演では、近年、外務省外交史料館で公開された文書を部分的に紹介いたしました。

 もう1人の講演者、劉智剛元大阪総領事は、岡崎と近しい間柄でした。

記念館のご高配に厚く御礼を申し上げます。


【2012年10月(その8)】

 渡邉昭夫先生が、新潮社の小冊子『波』に「戦後日本外交の生き字引」を寄稿されました。

 こちらにリンクを貼っておきます。

 中曽根康弘/中島琢磨・服部龍二・昇亜美子・若月秀和・道下徳成・楠綾子・瀬川高央編『中曽根康弘が語る戦後日本外交』(新潮社、2012年)を紹介して下さったものです。

 この場をお借りして、深く御礼を申し上げます。


【2012年10月(その7)】

 中曽根康弘/中島琢磨・服部龍二・昇亜美子・若月秀和・道下徳成・楠綾子・瀬川高央編『中曽根康弘が語る戦後日本外交』(新潮社、2012年)が刊行されました。

 主に外交、安全保障面から、戦後政治を振り返ってもらいました。

 第1回インタビューが2009年3月でしたので、そこから3年半ほどを費やしたことになります。

 インタビュイー、インタビュアー、事務所、出版社など、多くの方々にお世話になりました。

 心より御礼を申し上げます。


【2012年10月(その6)】

 日本国際政治学会の大会が名古屋で開かれました。

 トランスナショナル分科会「戦間期の国際秩序構想――トランスナショナリズムのイメージとその相対化」に参加しました。

 4人の先生方が、アメリカ、イギリス、日本、ロシアの対外認識などを報告して下さいました。

 その内容は、国際法、ナショナリズム、平和主義、ユーラシア主義、トゥラン主義と多様でした。

 事前に勉強会を開催されていたようで、とても練られた報告でした。

 フロアーからの議論も活発で、時間に収まらないほどでした。

 私は討論者として、勉強させていただきました。

 貴重な機会を与えて下さったことに感謝しております。

 学会後は、ひつまぶし登録商標のお店に連れて行ってもらいました。

 10数年前に来たような気がするのですが、そのお店だったかどうか、結局、思い出せませんでした。


【2012年10月(その5)】

 Foreign Relations of the United States, 1969–1976, Volume XXXVII, Energy Crisis, 1974–1980 が公開されました。

 こちらにリンクを貼っておきます。


【2012年10月(その4)】

 外務省外交史料館にて、宮城大蔵先生の講演をお聞きしました。

 論題は、「賠償問題の国際政治」でした。

 地域、時間ともに包括的な内容で、とても参考になりました。

 質疑応答にも、的確に回答されていました。


【2012年10月(その3)】

 中島敏次郎/井上正也・中島琢磨・服部龍二編『外交証言録 日米安保・沖縄返還・天安門事件』(岩波書店、2012年)が第2刷になりました。


【2012年10月(その2)】

 東アジア国際政治史研究会にて、等松春夫『日本帝国と委任統治――南洋群島をめぐる国際政治 1914-1947』(名古屋大学出版会、2011年)の書評研究会が開かれました。

 赤川尚平さんが書評報告して下さいました。

 討論は、著者の等松先生にお願いいたしました。

 会場に東京大学をお借りしたこともあり、多くの方が出席して下さいました。

 関係各位に深謝申し上げます。


【2012年10月】

 10月5日、『日本経済新聞』朝刊40面「文化往来」にて、高原明生・服部龍二編『日中関係史 1972-2012 Ⅰ 政治』(東京大学出版会、2012年)、服部健治・丸川知雄編『日中関係史 1972-2012 Ⅱ 経済』(東京大学出版会、2012年)園田茂人編『日中関係史 1972-2012 Ⅲ 社会・文化(東京大学出版会、2012年)が紹介されました。

 私は出席できなかったのですが、出版発表会の模様を記事にして下さったものです。

 10月7日、『東京新聞』でも同書が紹介されました。

 こちらにリンクを貼っておきます。


【2012年9月(その16)】

 9月30日の「NHKスペシャル 日中外交はこうして始まった」に協力いたしました。


【2012年9月(その15)】

 9月29日のTBS「報道特集 special 日中40年の恩讐」に協力いたしました。

 VTRで少しだけ登場しました。


【2012年9月(その14)】

 グローバル・ガバナンス学会の設立記念シンポジウムにパネリストとして参加いたしました。

 こちらにリンクを貼っておきます。

 日中関係がこのような時期だけに、とても緊張しました。

 関係各位に深謝申し上げます。


【2012年9月(その13)】

 9月27日、『読売新聞 国際版』28面にて、高原明生・服部龍二編『日中関係史 1972-2012 Ⅰ 政治』(東京大学出版会、2012年)、服部健治・丸川知雄編『日中関係史 1972-2012 Ⅱ 経済』(東京大学出版会、2012年)園田茂人編『日中関係史 1972-2012 Ⅲ 社会・文化(東京大学出版会、2012年)が紹介されました。

 国内版には、そのような記事はないようです。


【2012年9月(その12)】

 高原明生・服部龍二編『日中関係史 1972-2012 Ⅰ 政治』(東京大学出版会、2012年)が刊行されました。

 数年間、行ってきた共同研究の成果です。

 私は、「中曽根・胡耀邦関係と歴史問題 1983-86年」を担当いたしました。 

 次の2冊もほぼ同時に刊行されました。

    服部健治・丸川知雄編『日中関係史 1972-2012 Ⅱ 経済』(東京大学出版会、2012年)

    園田茂人編『日中関係史 1972-2012 Ⅲ 社会・文化(東京大学出版会、2012年)

 私は参加できませんでしたが、刊行発表会が開かれました。

 こちらにリンクを貼っておきます。

 大勢が集まって下さったようです。

 この間、多くの方々に本当にお世話になりました。

 心より御礼を申し上げます。


【2012年9月(その11)】

 拙稿「尖閣諸島領有権の原点と経緯」(『外交』第15号、2012年9月)が公表されました。

 特集「日中和解 40年目の岐路」に寄せたものです。

 1970年代を中心に整理してみました。


【2012年9月(その10)】

 9月24日、日本テレビ「NEWS ZERO」でコメントが取り上げられました。

 日中国交正常化40周年式典の中止に関するものです。

 40年前の日中交渉も厳しいものがありましたが、周恩来総理らは多くの困難を乗り越えて、田中角栄首相、大平正芳外相らを迎え入れました。

 各種行事はセレモニーであると同時に、交流を支える人脈を形成するという役割もあります。

 こういうときこそ、会って話すことが重要なのでしょうね。


【2012年9月(その9)】

 『新潟日報』9月23日朝刊23面に、インタビュー記事が掲載されました。

 日中国交正常化に関するものです。


【2012年9月(その8)】

 中央大学政策文化総合研究所の研究会で、鈴木仁麗先生、松村史紀先生に報告していただきました。

 深く御礼を申し上げます。


【2012年9月(その7)】

 拙稿「外交オーラル・ヒストリー」(『草のみどり』第259号、2012年9月)が公表されました。

 『草のみどり』は、中央大学父母連絡会の学内誌です。

 中島敏次郎/井上正也・中島琢磨・服部龍二編『外交証言録 日米安保・沖縄返還・天安門事件』(岩波書店、2012年)などを紹介させていただきました。

 かつて幣原喜重郎や広田弘毅について研究したとき、本人や関係者にインタビューできていたらと感じました。

精査を要することはいうまでもないことですが、当事者の声を後世に残していくことは、いまの時代に生きる者の役割なのかもしれませんね。


【2012年9月(その6)】

 拙著『さかのぼり日本史 昭和 “外交敗戦”の教訓――なぜ、日米開戦は避けられなかったのか』(NHK出版、2012年) が刊行されました。

 Eテレの番組を敷衍したものです。

 放送されなかったところを含めて、大幅に加筆いたしました。

 NHK出版の配慮で、写真を多く入れて下さいました。

 多くの方が協力して下さったことを実感しております。

 関係各位、視聴者の方々に深く御礼を申し上げます。


【2012年9月(その5)】

 拙稿「田中角栄、大平正芳のリーダーシップ 日中国交正常化から何を学ぶか」(『ダイヤモンド・オンライン』2012年9月19日)が、ウェブ上で公開されました。

 昨年12月、外務省外交史料館で公開された史料などを用いてみました。


【2012年9月(その4)】

 「満州事変から81年」が、『毎日新聞』2012年9月18日朝刊10、11面に掲載されました。

 鹿錫俊先生、高原明生先生との鼎談です。

 満州事変から現在に至る日中関係がテーマでした。

 両先生のお話が、非常に勉強になりました。


【2012年9月(その3)】

 拙稿「ニュースの本棚 日中国交回復40年」を『朝日新聞』に寄稿しました。

 2012年9月16日の朝刊に掲載されています。

 何冊かの本を紹介させていただきました。

 文化部の方々が、とても丹念にみて下さいました。

 こちらにリンクを貼っておきます。


【2012年9月(その2)】

 『新潟日報』2012年9月13日朝刊2面にインタビューが掲載されました。

 日中国交正常化に関するものです。


【2012年9月】

 拙稿「日中関係 2つの原点――日中国交正常化と中曽根・胡耀邦関係」(『調査情報』第508号、2012年9・10月号)が公表されました。

 こちらに雑誌のリンクを貼っておきます。


【2012年8月(その6)】

 拙稿「日本の分岐点 40年前 日中国交正常化」を『毎日新聞』に寄稿しました。

 2012年8月26日の朝刊4面に掲載されています。

 「日本の分岐点 40年前 第5回」に寄せたものです。

 同じ紙面では、記者による森田一元運輸大臣へのインタビューも掲載されています。

 インタビューは大平正芳と田中角栄に関するもので、森田一/服部龍二・昇亜美子・中島琢磨編『心の一燈 回想の大平正芳――その人と外交』(第一法規、2010年)でもお話をお聞きしたことがあります。


【2012年8月(その5)】

 Eテレ「さかのぼり日本史 昭和 “外交敗戦”の教訓 第4回 崩れゆく国際協調」が再放送されました。

 スタッフをはじめ、多くの方々に大変にお世話になりました。

 関係各位に深く御礼を申し上げます。

 『さかのぼり日本史 昭和 “外交敗戦”の教訓――なぜ、日米開戦は避けられなかったのか』(NHK出版、2012年)として、書籍化を進めているところです。

 番組では扱えなかったことにも触れていきたいと思います。


【2012年8月(その4)】

 Eテレ「さかのぼり日本史 昭和 “外交敗戦”の教訓 第3回 国際連盟脱退 宣伝外交の敗北」が再放送されました。


【2012年8月(その3)】

 Eテレ「さかのぼり日本史 昭和 “外交敗戦”の教訓 第2回 日中戦争 熱狂の代償」が再放送されました。


【2012年8月(その2)】

 8月6日で前期の試験期間が終わりました。

 レポートや採点を終え次第、お待たせしている仕事にとりかかりたいと思います。


【2012年8月】

 外務省外交史料館にて7月31日、外交記録が公開されました。

 概要のリンクを貼っておきます。

 次の紙面にコメントが掲載されました。

   『朝日新聞』8月1日朝刊5面
   『産経新聞』8月1日朝刊5面
   『東京新聞』8月1日朝刊7面
   『日本経済新聞』8月1日朝刊9面
   『参攷消息』8月3日13面

 メディアが外務省記録に関心を示してくれるのは、ありがたいことですね。


【2012年7月(その5)】

 Eテレ「さかのぼり日本史 昭和 “外交敗戦”の教訓 第1回 挫折した日米交渉」が再放送されました。


【2012年7月(その4)】

 拙著『日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)が第5刷になりました。

 今回の増刷では、中公新書50周年に合わせて、帯のデザインを変えて下さいました。

 批評を寄せて下さった方々に深く御礼を申し上げます。

 発行部数で、拙著『広田弘毅──「悲劇の宰相」の実像』(中公新書、2008年)に並んだようです。


【2012年7月(その3)】

 5カ月ぶりに新潟を訪れ、日中国民交流友好年記念シンポジウムに出席しました。

 「2012 日中国民交流友好年 記念シンポジウム イン 新潟――国交正常化から40年、新たな未来を展望する」というものです。

 新潟県、新潟市、新潟中国総領事館などが主催者でした。

 こちらにリンクを貼っておきます。

 天寿園にも足を運び、日中国交正常化40周年記念写真展の開幕式に参加しました。

 新潟県庁をはじめ、多くの方々にお世話になりました。

 政治的には明るい話題の多くない日中関係ですが、経済交流や観光客の誘致について、地元の期待は高いようです。

 文化、スポーツ、環境、留学生などの交流に努めているそうです。

 新潟中国総領事館や中国東北の企業なども、相互交流に熱心なようでした。

 新潟では、従来から関係の深かった中国東北に加えて、上海と週4便の空路で結ばれるなど、南方とも交流を行いつつあるのだそうです。

 県知事が挨拶で「対岸との交流」と述べるなど、政治が前面に出がちな東京の雰囲気よりも、柔軟な印象を受けました。

 かつて田中角栄についてインタビューさせていただいた方々にも、再会することができました。

 田中角栄などについて、さらに深められればと思います。


【2012年7月(その2)】

 1年以上前のものですが、公表論文>2011年で、次の論文にリンクを貼っておきました。

    拙稿「中曽根・胡耀邦会談記録――1983、84、86年」(『総合政策研究』第19号、2011年3月)161-203頁(PDF

 PDFで開きます。

 これは試験運用中のようです。

 ほかの紀要は、まだオンラインでは未公開のようです。

 同稿では、福武学術文化振興財団からご支援をたまわりました。

 同じ財団から支援を得た成果として、次のものがあります。

    中江要介/若月秀和・神田豊隆・楠綾子・中島琢磨・昇亜美子・服部龍二編『アジア外交 動と静――元中国大使中江要介オーラルヒストリー』(蒼天社出版、2010年)

 中江要介大使は、外務省アジア局長や駐中国大使を歴任された方です。


【2012年7月】

 外務省外交史料館特別展サンフランシスコ講和への道」を見学してきました。

 外務省内における各種作業、吉田・ダレス会談などの文書が展示されています。

 日米安全保障条約の締結に際して、アメリカが用意していながら使われなかった万年筆などもありました。

 使われなかったのは、吉田が自分の万年筆を用いたからのようです。

 高校生の一行が、熱心に見入っていました。


【2012年6月(その3)】

 東京財団で、「日中国交正常化40周年」と題してお話ししました。

 細谷雄一先生が司会を務めて下さいました。

 大きなテーマだけに、論じられたのは、ごく一部だったと思います。

 会場には研究者のほか、新聞社、出版社、政官界の方々などもお見えになったようです。

 あまり答えられませんでしたが、皆さんのコメントがとても貴重でした。


【2012年6月(その2)】

 6月10日の『朝日新聞』で、拙著『日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)が取り上げられました。

 早野透先生が、ご論考「田中角栄再考〈ニュースの本棚〉」で、田中角栄関係の本を何冊か紹介されたものです。

 こちらにリンクを貼っておきます。


【2012年6月】

 6月10日の『日本経済新聞』に書評を掲載しました。

 書評の対象は、孫平化/武吉次朗『中日友好随想録――孫平化が記録する中日関係』上下巻(日本経済新聞出版社、2012年)です。

 こちらにリンクを貼っておきます。


【2012年5月(その8)】

 拙稿「日中関係史の記憶と研究――1972年の国交正常化を中心として」(『中央評論』第64巻第1号、2012年5月)が公表されました。

 昨年11月に本学で開催されたセミナーを活字にしたものです。

 内容は、拙著『日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)を下敷きにしています。

 セミナーでは、諸先生方に大変にお世話になりました。


【2012年5月(その7)】

 5月22日のEテレ「さかのぼり日本史 昭和 “外交敗戦”の教訓 第4回 崩れゆく国際協調」に出演しました。

ロケ地は、南京の旧総統府でした。

冒頭では、観光客に囲まれるようにして撮影しました。

対談は、総統府内の旧応接室をお借りしました。

普段は入れないところだと思います。

これで担当を終わりましたので、感想が掲載されました。

自分の発言を放送で見ていて、真意が伝わりにくいかもしれない、と思えてしまうこともありました。

対談は大幅にカットされるのでやむをえない面があるにしても、自分を客観的に捉えられていなかったのだと思います。

至らないところも多かったのですが、とてもいい経験をさせてもらいました。

このシリーズに備えて、細谷千博先生、臼井勝美先生などの先行研究を読み返し、先学たちに負うところがいかに大きいか、いまさらのように再認識いたしました。

 近年の学界動向などについては述べられませんでしたが、書籍化する際に少しでも補えればと思います。

 スタッフや視聴者の方々に深く御礼を申し上げます。


【2012年5月(その6)】

 5月15日のEテレ「さかのぼり日本史 昭和 “外交敗戦”の教訓 第3回 国際連盟脱退 宣伝外交の敗北」に出演しました。

 ロケ地は長春の旧満州国国務院庁舎、国務院総理室でした。

 長春は風が非常に強く、冒頭の屋外ロケは難航しました。

 満州事変後のリットン調査団、国際連盟脱退、そして「田中上奏文」がテーマでした。

 「田中上奏文」という怪文書を通じて、宣伝外交や情報戦について考えてみました。

 内容は、拙著『日中歴史認識――「田中上奏文」をめぐる相剋 1927-2010』(東京大学出版会、2010年)に依拠しています。

 史料面では、東京大学の先生方などにもお世話になりました。

 昭和篇で最終回となる5月22日の第4回は、中華民国後期の首都だった南京の旧総統府を訪れます。


【2012年5月(その5)】

 Daqing Yang, Jie Liu, Hiroshi Mitani, and Andrew Gordon, eds., Toward a History Beyond Borders: Contentious Issues in Sino-Japanese Relations (Cambridge: Harvard East Asian Center, 2012) が刊行されました。

 拙稿 "Controversies over the Tanaka Memorial" (translated by Daqing Yang) も含まれています。

 その内容は、拙著『日中歴史認識――「田中上奏文」をめぐる相剋 1927-2010』(東京大学出版会、2010年)の一部を翻訳していただいたものです。

 「田中上奏文」について、日本語、中国語、英語で出そろったことになるようです。

     「『田中上奏文』をめぐる論争──実存説と偽造説の間」(劉傑・三谷博・楊大慶編『国境を越える歴史認識──日中対話の試み』東京大学出版会、2006年

     「囲繞《田中奏摺》的論争──実際存在説与偽造説之間」(劉傑・三谷博・楊大慶編『超越国境的歴史認識──来自日本学者及海外中国学者的視角』北京:社会科学文献出版社、2006年

     "Controversies over the Tanaka Memorial," in Daqing Yang, Jie Liu, Hiroshi Mitani, and Andrew Gordon, eds., Toward a History Beyond Borders: Contentious Issues in Sino-Japanese Relations (Cambridge: Harvard East Asian Center, 2012)

 共同研究では、多くの方々にお世話になりました。


【2012年5月(その4)】

 拙著『日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)につきまして、書評が2つ出されました。

    中島宏先生、『中国研究月報』第66巻第4号、2012年4月

    毛里和子先生、『東方』第375号、2012年5月

 この場をお借りして、深く御礼を申し上げます。


【2012年5月(その3)】

5月8日のEテレ「さかのぼり日本史 昭和 “外交敗戦”の教訓 第2回 日中戦争 熱狂の代償」に出演いたしました。

日中戦争初期に近衛文麿首相が演説したことから、ロケ地は日比谷公会堂となりました。

ワシントンでの調査から帰国した翌日の撮影でした。

 このため、普段もにも増してたどたどしかったのですが、スタッフの方々に支えていただきました。

太平洋戦争に至る過程を外交面からさかのぼるという企画だけに、ときとして柄にもなく、辛口になってしまうのは心苦しいことでした。

番組の趣旨は過去を裁くことではなく、歴史を学びながら対話を重ね、現代にも通じるようなヒントを視聴者とともに考えることだと思います。

 5月15日の第3回では、満州国の首都だった長春を訪れます。

 テーマは満州事変後のリットン調査団や国際連盟脱退ですが、一般に知られているストーリーとは別の視点になります。

 拙著『日中歴史認識――「田中上奏文」をめぐる相剋 1927-2010』(東京大学出版会、2010年)の内容をもとに、世界的に流布された怪文書「田中上奏文」を追います。


【2012年5月(その2)】

 5月6日の『日本経済新聞』に書評を掲載しました。

 書評の対象は、ヘンリー・A.・キッシンジャー/塚越敏彦ほか訳『キッシンジャー回想録 中国』上下巻(岩波書店、2012年)です。

 こちらにリンクを貼っておきます。


【2012年5月】

5月1日のEテレ「さかのぼり日本史 昭和 “外交敗戦”の教訓 第1回 挫折した日米交渉」に出演しました。

4月の戦後に続いて、5月は昭和戦前期の外交を4回にわたって取り上げます。

第1回のテーマは、太平洋戦争前の日米交渉でした。

第2次近衛内閣期の日米諒解案を焦点としました。

ロケ地は横浜市開港記念会館です。

 アメリカから贈られた友情の人形が戦時下で密かに隠され、いまも子供たちに愛されていると知ったとき、救われたように感じました。

協力して下さった多くの方々に御礼を申し上げます。


【2012年4月(その5)】

 いまごろ気づきましたが、拙著『日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)が、新書大賞2012の第11位だったようです。

 『中央公論』3月号を読んで知りました。


【2012年4月(その4)】

 中国の長春と南京に行ってきました。

 今回は、NHKの方々とご一緒にロケを行いました。

 うまく話せているか心もとないところですが、5月1日からEテレ「さかのぼり日本史」で4回放送されます。

 中国ロケは、5日間で5回、飛行機に乗りました。

 中国のほか、横浜市開港記念会館日比谷公会堂でも撮影しました。

 半年近く前に企画が立ち上がって以来、25分間の番組にここまで手間をかけていると分かっただけでも、いい経験になりました。

 ディレクターをはじめ、関係各位に深謝申し上げます。

 石澤典夫アナウンサーが何度でも納得のいくまで撮り直して、完成度を高めていたことにプロ意識を感じました。

 皆さんの熱意が伝わってくれることを祈ります。


【2012年4月(その3)】

 日中関係学会にて、日中国交正常化について報告いたしました。

 こちらにリンクを貼っておきます。

 討論者は発言順に、中江要介名誉会長、朱建栄先生、宮本雄二会長でした。

 フロアーとの質疑応答では、谷野作太郎大使などからもコメントをいただきました。

 緊張しましたが、とても勉強になりました。

 懇親会でも、多くの方とお話しできてよかったです。


【2012年4月(その2)】

 外務省の日本外交文書編纂委員会委員になりました。

 主な内容は、外務省編『日本外交文書』編纂のお手伝いなどです。

 毎週、外務省外交史料館に通うことになります。

 『外交史料館報』第25号は、細谷千博先生について追悼特集を組んでいます。

 細谷先生は、外交史料館設立前の1970年に編纂委員会を発足させ、自ら委員長を39年間も務められるなど、足跡の大きさに改めて驚かされます。


【2012年4月】

 『週刊東洋経済 臨時増刊 激動ニッポン経済100年』63頁にコメントが掲載されました。

 日中国交正常化についてです。


【2012年3月(その5)】

 3月25日の『東京新聞』30面「『政地』巡礼」にコメントが掲載されました。

広田弘毅に関するものです。


【2012年3月(その4)】

 3月24日の『朝日新聞』「be on Saturday」に写真が掲載されました。


【2012年3月(その3)】

 しばらくアメリカに出張して来ました。

 主な訪問先は、国立公文書館(ナショナル・アーカイヴスⅡ、NARA、National Archives & Records Administration)でした。

 簡単な利用方法を下記に書いておきました。

     論文の執筆> ◆海外調査―アメリカ国立公文書館を訪れる

 疲れ気味だったためか、数日間、熱が出てしまいました。

 悪いことは重なるようで、スーツケースが紛失してしまい、結局、戻ってきませんでした。

 こういうこともあるのですね。

 (付記)スーツケースは、その後に見つかりました。


【2012年3月(その2)】

 3月17日の『朝日新聞』「be on Saturday」に短いコメントが掲載されました。

 こちらにリンクを貼っておきます。


【2012年3月】

 中島敏次郎/井上正也・中島琢磨・服部龍二編『外交証言録 日米安保・沖縄返還・天安門事件』(岩波書店、2012年)と対照させながら、録音を聞き直しました。

 インタビューは11回、行われました。

 お会いしたとき83歳でしたが、よどみなく入省から今日までを振り返り、ときに条文に目を通し、ときにユーモアを交えて語って下さった声が昨日のことのようです。

 (付記)その後、ご遺族とともに、編者、編集者でお墓参りに行ってきました。


【2012年2月(その4)】

拙著『日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)が、第4刷になりました。

 2月中旬には新潟を訪れ、同書にも関連する話をお聞きしました。


【2012年2月(その3)】

 『日本と中国』2月25日号の「友好訪問」にて、インタビューが掲載されました。

 『日本と中国』は日中友好協会の機関紙です。

 中島敏次郎/井上正也・中島琢磨・服部龍二編『外交証言録 日米安保・沖縄返還・天安門事件』(岩波書店、2012年)についても、紹介していただきました。


【2012年2月(その2)】

 三宅正樹・石津朋之・新谷卓・中島浩貴編著『ドイツ史と戦争――「軍事史」と「戦争史」』(彩流社、2011年)につきまして、2月10日の『週刊読書人』に書評を執筆いたしました。

 次のところに誤植を生じてしまいました。

    誤:藤田順子

    正:藤由順子

    誤:長谷川 ・

    正:長谷川熙(異体字)

 この場をお借りして、深くお詫びいたします。


【2012年2月】

 拙著『日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)が『週刊ポスト』2月17日号に紹介されました。

「現場の磁力」という記事です。


【2012年1月(その9)】

 大佛次郎論壇賞の贈呈式が行われました。

 朝日賞、朝日スポーツ賞、大佛次郎賞と合同でした。

 『朝日新聞』1月28日朝刊に紹介されています。

 審査委員の諸先生方、主催者の朝日新聞社、出版元の中央公論新社、史料調査やインタビューでお世話になった方々など、関係各位に深く御礼を申し上げます。

 微力ながら、地道に研究を続けられればと思います。

拙著『日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)刊行後も、田中角栄の元秘書や大平正芳に近しかった方などにお話を聞いております。

 中国や台湾における史料状況については、ご参考になるか分かりませんが、論文の執筆→「海外調査―中華人民共和国外交部档案館を訪れる」以下に記しておきました。


【2012年1月(その8)】

 中島敏次郎/井上正也・中島琢磨・服部龍二編『外交証言録 日米安保・沖縄返還・天安門事件』(岩波書店、2012年)が刊行されました。

 中島大使は、条約局条約課長、在イギリス公使、条約局長、アメリカ局長、在シンガポール大使、外務審議官、在オーストラリア大使、在中国大使などを歴任された外務官僚です。

 最高裁判所判事や皇室参与も務められました。

 本書では、沖縄返還(条約課長)、日米防衛協力のガイドライン策定(アメリカ局長)、中曽根康弘首相の外交(外務審議官)、天安門事件(在中国大使)などについてお聞きしました。

 編者以外にも、多くの方々がインタビューに参加して下さいました。

 中島大使は昨年12月、再校の半ばで急逝されました。

 はしがきを執筆された数日後でした。

 刊行を心待ちにされていただけに、もう少し編者が早く作業を進めていればと思うと、悔恨の念に苛まれます。

 慎んで、ご冥福をお祈りいたします。


【2012年1月(その7)】

 東アジア国際政治史研究会で、太田昌克『日米「核密約」の全貌』(筑摩書房、2011年)を取り上げました。

 加藤博章氏が書評され、太田氏も
討論者として参加して下さいました。

 「核密約」の歴史的経緯から現代的提言に至るまで、日米双方の史料とインタビューを駆使した労作です。



【2012年1月(その6)】

 拙著『日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)が、第3刷になりました。

 同書では、田中角栄や大平正芳に随行した秘書官など、多くの方々に大変お世話になりました。

 重ねて御礼を申し上げます。

 いずれ、別の形で深められればと思います。

 星浩氏のコラム「政治考」(『朝日新聞』2012年1月15日)にて、拙著が論及されました。


【2012年1月(その5)】

 栗山尚一/中島琢磨・服部龍二・江藤名保子編『外交証言録 沖縄返還・日中国交正常化・日米「密約」』(岩波書店、2010年)につきまして、東京財団ホームページに書評が掲載されました。

 昇亜美子先生によるものです。

 こちらにリンクを貼っておきます。


【2012年1月(その4)】

 中央大学の研究会で、楊大慶先生が「帝国の通信政策――日本顧問と日中関係」と題して報告して下さいました。


【2012年1月(その3)】

 ある研究会で、下村太一『田中角栄と自民党政治――列島改造への道』(有志舎、2011年)を取り上げていただきました。

 著者をお招きしたうえで、村井哲也先生が書評して下さいました。


【2012年1月(その2)】

 拙稿「日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦」が、『アジア時報』2012年1・2月号に公表されました。

 昨年11月、静岡で行った講演の記録です。

 講演では、スルガ銀行やアジア調査会の方々にお世話になりました。

 重ねて御礼を申し上げます。


【2012年1月】

 新年のお慶びを申し上げます。

 今年の冬休みは、レポートの添削などで過ごしました。

 中島敏次郎/井上正也・中島琢磨・服部龍二編『外交証言録 日米安保・沖縄返還・天安門事件』(岩波書店、2012年)の再校も終えました。

 本年も、ご指導ご鞭撻のほどをよろしくお願い申し上げます。


【2011年12月(その7)】

 今年最後の外交記録公開が12月22日、外務省外交史料館で行われました。

 主な内容は、沖縄返還、日中国交正常化、日米繊維協議などです。

次のメディアに談話を寄せました。

    NHK総合テレビ、12月22日10時12時19時のニュース

    『読売新聞』地方版、12月22日夕刊

    『朝日新聞』12月23日朝刊

    『信濃毎日新聞』12月23日朝刊


【2011年12月(その6)】

 拙稿「日中国交正常化の精神とは」が、『朝日新聞』2011年12月22日朝刊に掲載されました。

 日中交渉の経緯、政と官、日米関係と台湾、尖閣諸島などを論じました。


【2011年12月(その5)】

 大佛次郎論壇賞を受賞しました。

 拙著『日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)によるものです。

 このような賞をいただけると思っていなかっただけに、選考委員の先生方をはじめ、関係各位に深く御礼を申し上げます。

 先行研究に多くを負っていることも、いうまでもありません。

 『朝日新聞』12月19日朝刊にインタビュー記事と選評が掲載されています。

 関連記事のリンクをこちらに貼っておきます。


【2011年12月(その4)】

 『新潟日報』12月18日朝刊にインタビュー記事が掲載されました。

 田中角栄と中国について述べたものです。


【2011年12月(その3)】

 拙著『日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)が増刷に決まりました。

 一時的に品切れのところもあるようですが、そろそろ刷り上がります。

 第2刷では、173頁と244頁に加筆修正してあります。


【2011年12月(その2)】

 太田昌克『日米「核密約」の全貌』(筑摩書房、2011年)を拝読しました。

 核政策や「密約」について、日米双方の史料やインタビューを駆使して歴史的に論じられています。

 日本はいつからアメリカの「核の傘」に入ったのか、といった根源的なところから筆を起こされています。

 
『密約の闇――「核の傘」と日米同盟』(日本評論社、2004年)をさらに発展させた内容のようです。

 アメリカ側の意図、忘れられがちな小笠原や奄美などを含め、「密約の連鎖」についても掘り下げています。


【2011年12月】

 第23回アジア・太平洋賞表彰式の模様が、『アジア時報』第472号、70-81頁に掲載されました。

 アジア調査会会長の栗山尚一大使をはじめ、皆様のスピーチも載っています。

 表彰式はかなり以前から、アジア調査会や協賛の方々が準備して下さいました。

 インタビューでお世話になった方々にも再会できました。

 いい思い出になりそうです。


【2011年11月(その7)】

 ある新聞社の研究会で、報告しました。

 詳細は書けませんが、来年が日中国交正常化40周年のためもあってか、日中関係史についての依頼が多くなっているようです。

 一昔前であれば、日米開戦70周年と位置づけられた時期かもしれません。

 記者の方々の経験や発想から学ぶことも多く、こちらからジャーナリストにインタビューすることもあります。


【2011年11月(その6)】

 波多野澄雄『国家と歴史』(中公新書、2011年)を拝読いたしました。

 戦後日本の歴史問題を通史的にまとめ上げたご労作です。

 膨大な文献を踏まえ、諸外国との関係も論じられています。

 「和解政策」としては人的交流にとどまらず、史料や文献を共有し、活用できる体制を構築すべき(238、278頁)といった点などにも共感いたしました。


【2011年11月(その5)】

 静岡県三島市の駿河小山講堂で講演しました。

 駿河小山講堂は、スルガ銀行の施設です。

 講演者は、毎日新聞主筆の岸井成格氏と私でした。

 スルガ銀行、アジア調査会の方々に大変お世話になりました。

 拙い講演ながら、熱心に聞いて下さったのが印象的でした。

 『毎日新聞』のリンクを貼っておきます。

 駿河小山講堂を含むスルガ・キャンパス・カレッジについても、関連するホームページのリンクを貼っておきます。


【2011年11月(その4)】

 アジア・太平洋賞特別賞の表彰式が、パレスサイドビルで行われました。

 拙著『日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)はインタビューによるところが大きいだけに、多く方々が獲らせて下さったものだと思います。

『毎日新聞』11月13日11月15日に関連記事が掲載されています。


【2011年11月(その3)】

 つくば国際会議場で、日本国際政治学会の大会が開催されました。

 部会「1920年代の東アジア国際政治におけるソ連の登場――『革命外交』の虚と実」で、討論を務めました。

 麻田雅文先生、青木雅浩先生、シュラトフ・ヤロスラブ先生のご報告は、いずれも非常に実証水準が高く、日本におけるソ連外交史研究、モンゴル現代史研究の到達点を示すものでした。

 司会の横手慎二先生、討論の酒井哲哉先生をはじめ、フロアーからの発言も勉強になりました。


【2011年11月(その2)】

 インタビュー記事が、『アジア時報』第471号、26-33頁に掲載されました。


【2011年11月】

 辛亥革命百周年記念セミナー「辛亥革命と現代」にて、「日中関係史の記憶と研究」と題して報告しました。

 こちらにリンクを貼っておきます。


【2011年10月(その2)】

 インタビュー記事が、『毎日新聞』10月27日夕刊に掲載されました。

 こちらにリンクを貼っておきます。

 拙著『日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)に関するものです。

 記者の方が、うまくまとめて下さいました。


【2011年10月】

 思いがけず、アジア・太平洋賞特別賞を受賞いたしました。

 拙著『日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)によるものです。

 10月3日『毎日新聞』社告で発表されました。

 選考に当たられた委員の方々、ご指導下さった先生方、インタビュイー、編集者や校閲の方々などに深甚の謝意を表します。


【2011年9月(その10)】

 拙著『日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)が、『軍事史学』第47巻第2号で書評されました。

池田直隆先生によるものです。

 深く御礼を申し上げます。


【2011年9月(その9)】

 川島真・服部龍二編『東アジア国際政治史』(名古屋大学出版会、2007年)が、第3刷になりました。

 本文、コラムとも、非常に多くの方々にお世話になりました。

 この場をお借りして、深謝申し上げます。


【2011年9月(その8)】

 細谷千博先生が他界されました。

 復刻された『シベリア出兵の史的研究』(有斐閣、1955年、岩波現代文庫、2005年)のほか、『ロシア革命と日本』(原書房、1972年)『サンフランシスコ講和への道』(中央公論社、1984年)『両大戦間の日本外交――1914~1945』(岩波書店、1988年)などを主著とし、外交史研究の最高峰でした。

 今年は学部ゼミで、『日本外交の軌跡』(日本放送出版協会、1993年)を読んでいました。

 久しぶりに読み返し、圧縮された文体の背後にある蓄積をいまさらのように感じました。

 『日本外交の座標』(中央公論社、1979年)には、秀逸な列伝が収録されています。

 牧野伸顕、吉田茂、松岡洋右、近衛文麿、ロバート・クレーギー、ジョージ・サンソム、ジョージ・ケナンについての筆致は、ストーリー・テラーとしての一面を伝えています。

 同書などで、日本外交の政策決定を「《円錐台》システム」と規定したことも、よく知られていますね。

『日米関係史』全4巻(東京大学出版会、1971-1972年、新装版:2000年)など数々の共同研究を率い、外交史研究を世界的な水準に引き上げた方でした。

 それだけに、今世紀に入って研究に着手されたような世代には、どのぐらい業績が読み継がれているだろうかとも思います。

 研究が細分化されていくなかで、近現代史を鳥瞰できる歴史家は減っていくのかもしれません。

 個人的には数年前、外務省外交史料館の研究会でお目に掛かったのが最後でした。

 細谷先生は最前列の中央に着席され、報告者の私に多くの知見と洞察を示して下さいました。

 そのことは、拙稿「幣原喜重郎について――外務省記録とその周辺」(『外交史料館報』第20号、2006年)に部分的ながら収録されています。

 優しさと真摯さがにじむような笑顔を昨日のように思い出します。

 慎んで、ご冥福をお祈り申し上げます。


【2011年9月(その7)】

 後期の講義科目では対外政策決定論、国際関係論Ⅱに加えて、日本・アジア関係史を教えることになりました。

 初めての科目ですので、しばらく準備に時間を要しそうです。

 そのほか、ゼミ、大学院などを担当します。


【2011年9月(その6)】

 拙著『日中歴史認識――「田中上奏文」をめぐる相剋 1927-2010』(東京大学出版会、2010年)が、『日本歴史』(第756号、2011年5月)で書評されました。

 気づくのが遅れてしまいましたが、冨塚一彦先生によるものです。

 深く御礼を申し上げます。


【2011年9月(その5)】

 柏倉康夫『指導者はこうして育つ――フランスの高等教育:グラン・ゼコール』吉田書店、2011年)を読みました。

フランスにおける国語と文章の暗記重視、日仏の比較、入試のあり方、教育の歴史、日本との人的交流、文学者、グラン・ゼコールの生活など、まったくの門外漢ながら参考になりました。

永井荷風『〔氵+墨〕東綺譚』をフランス語訳したのは、ある総領事であったそうです。


【2011年9月(その4)】

 9月11日の『日本経済新聞』にて、丹波實『わが外交人生』(中央公論新社、2011年)を書評しました。

 ロシア、アメリカ、中国の3大国で勤務されただけに、スケールの大きな回想録だと思います。


【2011年9月(その3)】

 拙著『日中歴史認識――「田中上奏文」をめぐる相剋 1927-2010』(東京大学出版会、2010年)が、『国際政治』第166号で書評されました。

波多野澄雄先生によるものです。

 「田中上奏文」だけを論じた学術書がほかにないだけに、難しい書評ではなかったかと思います。

 この場をお借りして、深く御礼を申し上げます。


【2011年9月(その2)】

 拙著『日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)が、『改革者』(第614号、2011年9月)で書評されました。

阿部穆氏によるものです。

阿部氏は新聞記者として、田中角栄首相らの訪中に随行されています。

拙著191、241頁でも、ご論考を引用させていただきました。

 少しずつ新聞記者の方々にもお話を聞くするようにしているのですが、この点は積み残した課題となっていました。


【2011年9月】

 この夏休みは、最も多くの時間をインタビューに割いた気がいたします。

 インタビューは単独で行うこともありますが、多くはグループで行っています。

 長い目でみると、研究そのものに劣らず重要なのでしょうね。


【2011年8月(その7)】

「日中国交正常化の周辺」と題して、ある研究会で報告いたしました。

拙著『日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)の内容を敷衍しならがら、史料や残された課題などに触れたものです。

先生方のコメントが、とても参考になりました。

貴重な勉強の機会を与えて下さいましたことに深謝申し上げます。


【2011年8月(その6)】

 拙著『日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)が、8月14日の『読売新聞』で書評されました。

細谷雄一先生によるものです。

外交史の本が新聞であまり取り上げられないなか、ご専門のイギリス外交史という枠を超えて書評し続けるのは、なかなかできないことだと思います。

この場をお借りして、深く御礼を申し上げます。

 同書については、8月16日の『チャイニーズドラゴン』でも紹介されました。


【2011年8月(その5)】

 拙著『日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)が、『週刊東洋経済』8月13・20日合併号で取り上げられました。

 書評を執筆して下さった西村吉正先生に深謝申し上げます。

        ◆           ◆

 一般論として、新聞や商業雑誌の書評では紹介という意味合いが強く、学会誌における書評などと性格を異にしていることは理解しているつもりです。

 それにしても、狭義の専門家以外にどう読まれるかということは、とてもいい勉強になります。

 新書のような形態では、教養ある読者層を意識するため、特にそうだと思います。

 かといって、読者に媚びるような運びにすることは本末転倒ですので、あくまで事実関係には忠実でなければなりません。

 この点は、拙著『広田弘毅』(中公新書、2008年)でも反芻し、拙稿「広田弘毅について」(『比較法制研究』第33号、2010年12月)で触れました。


【2011年8月(その4)】

 ある研究会後、諸先生方や編集者の方と神宮の花火大会を観ました。

 某社のご好意により、場所を提供していただきました。

 間近に観られて幸運でした。

 この夏は三陸海岸に行きたいと思っていたのですが、どうやら難しくなりそうです。

 阪神淡路大震災ではボランティアの方々に励まされただけに、心残りです。


【2011年8月(その3)】

 拙著『日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)が、『外交』第8号(2011年7月)で書評されました。

大津留(北川)智恵子先生によるものです。

次の本と合わせて書評して下さいました。

   上品和馬『広報外交の先駆者 鶴見祐輔 1885-1973』(藤原書店、2011年)

   田辺俊介『外国人へのまなざしと政治意識――社会調査で読み解く日本のナショナリズム』(勁草書房、2011年)

 この場をお借りして、深く御礼を申し上げます。


【2011年8月(その2)】

 津村節子『紅梅』(文藝春秋、2011年)を読みました。

 『文學界』掲載時から目を通しており、あらためて単行本も手にしました。

 夫である吉村昭氏の最期を描いた作品です。

 吉村氏の他界から数年を経て、昨年は『桜田門外ノ変』上下巻(新潮文庫、1995年)が映画化されました。

 今年は『三陸海岸大津波』(文春文庫、2004年)が読者を増やしたようです。 

 創作の部分があるにせよ、吉村氏は記録文学、歴史小説のなかにも史実を求めた数少ない作家だったように思います。


【2011年8月】

 拙稿「藤尾文相発言――外務省記録から」(『中央大学政策文化総合研究所年報』第14号、2011年8月)が公表されました。

 第3次中曽根康弘内閣が1986年7月に成立してから、同年9月に藤尾正行文部大臣が罷免されるまでの史料です。

 藤尾文相は安倍派幹部で、かつて青嵐会に属した台湾派でもありました。

 次のような誤植が生じてしまいました。

   66頁下から6行目 誤:及ぼさざるえない
                正:及ぼさざるえ(ルビ・ママ)ない

 再校時、「るえ」に「ママ」と指示を入れておいたのですが、うまく反映されなかったようです。

 これまでも断片的ながら、以下のような史料を紹介してきました。

    「大平・鄧小平・華国鋒会談記録――1979年2、12月」(『中央大学論集』第32号、2011年3月)37-69頁

    「中曽根・胡耀邦会談記録――1983、84、86年」(『総合政策研究』第19号、2011年3月)161-203頁

    「田中首相・ニクソン大統領会談記録――1972年8月31日、9月1日」(『人文研紀要』第68号、2010年3月)413-444頁

    「大平・金鍾泌会談記録――1962年秋」(『人文研紀要』第65号、2009年9月)193-234頁

    「宮澤談話に関する一史料」(『中央大学論集』第30号、2009年3月)13-19頁

    「金大中事件に関する一史料」(『総合政策研究』第17号、2009年2月)1-6頁

 時間的な制約から、今後は史料紹介を行えなくなりそうです。


【2011年7月(その5)】

 拙著『日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)が、7月24日の『日本経済新聞』で書評されました。

 評者の表記がないので、おそらく記者の方だと思います。

 同紙で取り上げていただいたのは、拙著『幣原喜重郎と二十世紀の日本――外交と民主主義』(有斐閣、2006年)以来です。

 深甚の謝意を表します。



【2011年7月(その4)】

 丹波實『わが外交人生』(中央公論新社、2011年)を読みました。

ロシア専門家として知られる丹波實氏の回想録です。

 ソ連課長、安保課長、国連局長、条約局長、駐サウジアラビア大使、外務審議官、駐ロシア大使など要職を歴任されているだけに、多くの手掛かりを与えてくれます。

 沖縄返還協定交渉、日中国交正常化、ライシャワー発言、湾岸戦争、PKOなど、率直に記されています。

 北方領土をめぐる交渉についても論じられ、四島一括返還が日本の立場であると力説されています。

 丹波實『日露外交秘話』(中央公論新社、2004年)と併読すると、理解が深まりそうです。

日中国交正常化でいえば、共同声明への調印時、田中角栄首相の隣りに立っている方だと思います。

 拙著『日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)では、187、191頁です。



【2011年7月(その3)】

 平野健一郎・土田哲夫・村田雄二郎・石之瑜編『インタビュー 戦後日本の中国研究』(平凡社、2011年)を拝読いたしました。

 中国研究の第一人者たちに聞き取りを行ったものです。

 自らの歩み、中国との交流、学界を取り巻く環境などを振り返っています。

 碩学の語り口から、開拓者としての葛藤が伝わってきます。

 インタビューする側にも、それぞれの個性を感じました。

 文献の扱い方、時代の制約、共同研究のあり方、研究の細分化に対する懸念、大学教育、学問の継承と発展などについて、大いに考えさせてくれます。

 研究者にテーマ・インタビューが行われ、しかも公刊されるのは稀ではないかと思います。



【2011年7月(その2)】

 栗山尚一大使のご論考「戦後日本外交の軌跡」が、雑誌『アジア時報』に長期連載されています。

 ここ数回は、日中国交正常化における日米安保体制と台湾を扱っています。

 いずれも、現代外交の根幹となるところですね。

 中国と国交が樹立された1972年9月当時、栗山氏は外務省条約局条約課長でした。

 最新号では、日華平和条約をめぐる内閣法制局との協議などが記されています。

 オーラル・ヒストリーと併読していただきますと、理解が深まると思います。



【2011年7月】

 『エコノミスト』7月12日号、61頁にインタビュー記事が掲載されました。

 拙著『日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)に関するものです。

 要旨や意図について、うまくまとめて下さいました。

 深く御礼を申し上げます。



【2011年6月(その6)】

 拙著『日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)が、『週刊ポスト』6月24日号の書評欄で手短に紹介されました。

 ある先生が教えて下さいました。

 この書評に限らず、今日の問題に引きつけて考えて下さった方が少なくないようです。

 つまり、田中角栄内閣による日中国交正常化は、現在の政局にも示唆しうるのではないかというご意見です。

 実際、民主党の要人たちが菅直人首相の退陣時期を口にして廻る姿は、どうみても本来あるべき姿ではなさそうです。

 田中内閣における大平正芳外相のような盟友が、首相には必要なのかもしれませんね。

 日中国交正常化で田中は大きな方針だけを示し、謝罪の表現から台湾条項に至るまで、事実上の全権を大平に委ねました。

 異なるリーダーシップが共振し、官僚たちを信頼して使いこなしたとき、中国への道は初めて開かれたのです。

 ややもすると政治主導は、官僚を排除することとも解されるようですが、舞台裏で奔走した無名の官僚たちも描きたいと思いました。

 政治主導で官僚の役割がなくなってしまうのではなく、政治主導のなかでこそ官僚は活かされるようです。

 拙著に意味があるとすれば、インタビューに答えて下さった方々のお陰です。

 肉声が原稿に乗り移っていく感覚に何度も襲われました。

 それにしても当時の政治家や官僚たちは、個性がしっかりしていますね。



【2011年6月(その5)】

 しばらくパソコンを修理に出していました。

 だからというわけでもないのですが、三浦哲郎『木馬の騎手』(新潮文庫、1984年)を四半世紀ぶりに読みました。

 わずか10数頁の短編「鳥寄せ」が心に残りました。

出稼ぎに行った父の予期せぬ最期、そして母の姿を思い浮かべながら、子供がとつとつと語ります。

 さすがに短編の名手と思わせる悲話でした。

 『忍ぶ川』にもまして、時代を超えるものを感じさせてくれます。



【2011年6月(その4)】

 井上寿一「歴史書の棚 日中国交正常化交渉はなぜ成功したのか」(『エコノミスト』2011年6月21日号)におきまして、拙著『日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)が書評されました。

 同稿は、国分良成編『中国は、いま』(岩波新書、2011年)と拙著を書評しながら、現代日中関係を考察したものです。

 この場をお借りして、深く御礼を申し上げます。



【2011年6月(その3)】

 大平正芳記念財団の会合にお邪魔してきました。

政界、財界、官界、学界、新聞社などから約350人が集まり、没後31年を経てなお、大平の人徳を思わせます。

現在、第4巻まで刊行されている大平正芳/福永文夫編『大平正芳全著作集』(講談社、2010年~)をひもとくと、飾らない文体に人柄がにじむようです。

帰り際には財団のご好意で、拙著『日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)を配布して下さいました。

 昨年は、森田一/服部龍二・昇亜美子・中島琢磨編『心の一燈 回想の大平正芳――その人と外交』(第一法規、2010年)が配られたとお聞きしています。

 関係各位に深謝申し上げます。

一昨年は、福永文夫先生の『大平正芳――「戦後保守」とは何か』(中公新書、2008年)が配布されたようです。

吉田茂財団が今年3月に解散してしまったこともあり、大平財団の存在はますます貴重なものになっていくのでしょうね。



【2011年6月(その2)】

 少し前のことですが、北岡伸一『日本政治史――外交と権力』(有斐閣、2011年)を拝読いたしました。

 1989年に出版された放送大学の教科書を復刻されるとともに、新たにコラムが多く執筆されています。

 この本には、20年前の記憶があります。

 北岡先生が1990、1年、京都大学法学部で日本政治外交史の集中講義を担当されたこともあり、刊行されたばかりの『日本政治史――外交と権力』(放送大学、1989年)を勉強いたしておりました。

 講義後には、拙い質問にも丹念に答えて下さったことを覚えています。

 あれから20年が流れたかと思うと、時の早さに言葉を失います。



【2011年6月】

オーラル・ヒストリーの意義

 拙著『日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)に対して、何人かの方々から貴重なコメントをたまわりました。

 この場をお借りして、深く御礼を申し上げます。

 批評の多くは、インタビューやオーラル・ヒストリーについてでした。

 今回の本では、諸先生方とご一緒させていただいたオーラル・ヒストリーが非常に有益でありました。

 いくつかは刊行されていまして、「研究テーマ>共編――オーラル・ヒストリー」に挙げてあります。

 外交面からのオーラル・ヒストリーには、4つぐらいの意義がありそうです。

 第1に、公文書には残らないような人的関係や政策過程を再現でき、研究者が歴史を書くときの材料になります。

 第2に、ジャーナリストやビジネスマン、学生など、研究者以外の目にも触れますので、外交史の知識を普及させます。

 第3に、現役の官僚や政治家にとって、執務上の参考になりうると思います。

第4に、これは意図しておりませんが、結果的に日本外交の広報となる面もありそうです。


歴史になっていない過去

 拙著が対象とした時代については、完全には歴史になっていないという考え方も十分ありうると思います。

 内外の調査や情報公開請求で主要な文書を入手しているとはいえ、中国側を含めて、史料に未公開の部分があるのは事実です。

史料がほぼ完全に開かれ、歴史となってから研究に着手するのが王道でしょうし、私もそのように感じています。

未公開の部分があるというデメリットには自覚的ですが、当事者から話をお聞きし、遠くない過去を再構成できるというメリットにも捨て難いものがあります。

先に述べたような意味で外交史には、現代的要請に応える役割もあるだろうと思います。

この点については、拙著『日中歴史認識――「田中上奏文」をめぐる相剋 1927-2010』(東京大学出版会、2010年)でも少し意識しました。


公文書に残ること、残らないこと

 史料が完全に公開されるとき、関係者の多くは他界していますでしょうし、そもそも、すべての出来事が公文書に記されるとは限らないのです。

『日中国交正常化』から例を挙げれば、田中角栄首相の「ご迷惑」スピーチについて、田中自身が翌日の会議で周恩来らに反論し、理解を得ています。

 日本外務省記録にはあまり出てこない局面ですが、証言を得ることができました(151-153頁)。

 周恩来が高島益郎条約局長を「法匪」と罵倒したという説についても、当事者に確かめておく必要があると思いました(151頁)。

 そうでないと、不正確な伝聞が史実であるかのように定着してしまう可能性もあります。

 細かなことかもしれませんが、流布された神話によって、周恩来へのイメージが左右されかねないところかと存じます。

 公文書に残らない部分はインタビューを行っておかないと、復元したり、検証したりするのが難しくなるのかもしれませんね。


保存期間

 もう1つ付言しなければならないのは、「行政文書としての保存期間」が満了すると、廃棄される可能性があることです。

 この点についても、『日中歴史認識』287-288頁などで触れておりまして、その文書の保存期間は1年ないし3年でした。

 研究テーマによっては、30年ルールを信じて待ってみても、史料状況が必ずしも改善されるとは限らないようです。


 とりとめもない文章になってしまいましたが、今後も試行錯誤を重ねていくことになりそうです。



【2011年5月(その7)】

 現代日中関係史を共同研究で進めています。

おそらく最終となるであろう全体会合が2日間、週末に開催され、勉強させていただきました。

 これから原稿を仕上げていく段階になりそうです。

 ある財団からご支援を得ておりますので、リンクを貼っておきます。

 会合を終えた夜、今春、大学に就職された方々などと集まる機会がありました。

 大学をめぐる環境が厳しいなか、しかるべきところに迎え入れられるのは、この上なくうれしいことですね。



【2011年5月(その6)】

 明治大学史資料センター『大学史紀要 第15号 三木武夫研究Ⅱ』(2011年3月)が興味深い内容になっています。

 外交面では、竹内桂「三木・フォード会談(1975年8月)について」があり、そのほか三木睦子氏インタビュー、海部俊樹氏インタビュー、三木武夫年譜なども掲載されています。

 明治大学史資料センター所蔵「三木武夫関係文書」のほか、フォード大統領図書館所蔵文書も用いられています。

 大学に個人文書の受け皿があることの重要性をあらためて感じました。

 スクール・アイデンティティの象徴的存在として、大学史料館は経営的にも欠かせないように思います。



【2011年5月(その5)】

 井上寿一『戦前日本の「グローバリズム」――1930年代の教訓』(新潮社、2011年)を拝読いたしました。

 昭和戦前期を外交空間の拡大という視点などから再解釈されています。

 知識人の時局観を織り交ぜたことも、大きな特徴になっています。

 グローバリズムと地域主義が錯綜し、政権交代で政党政治が新たな局面に立ちつつある現在に示唆的です。



【2011年5月(その4)】

 拙著『日中国交正常化――田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年)が刊行されました。

 田中首相、大平外相、外務官僚を軸として、日中国交正常化を論じたものです。

 同書では、4つのことを試みました。

 第1に、比較的に新しい時代を歴史として書きました。日中共同声明の形成、台湾や尖閣諸島をめぐる交渉、対米関係などは、現代国際政治につながるものです。

 第2に、インタビューや情報公開請求を多用し、政策過程や対外構想、人物像を分析しました。

 第3に、政治的リーダーシップのあり方や外務官僚との関係を考察しました。

 第4に、注と参考文献を完備することで、新書ながら学術書に近い水準を保とうと努めました。

 拙著『広田弘毅──「悲劇の宰相」の実像』(中公新書、2008年)と同様に、会話文などを含めて史料的根拠があり、今回は注に明記してあります。

 インタビューの多くは2008年ごろから、諸先生方や大学院生の方々とともに行いました。

 その一部は、別途、以下のように刊行してあります。

   森田一/服部龍二・昇亜美子・中島琢磨編『心の一燈 回想の大平正芳――その人と外交』(第一法規、2010年)

   栗山尚一/中島琢磨・服部龍二・江藤名保子編『外交証言録 沖縄返還・日中国交正常化・日米「密約」』(岩波書店、2010年)

   中江要介/若月秀和・神田豊隆・楠綾子・中島琢磨・昇亜美子・服部龍二編『アジア外交 動と静――元中国大使中江要介オーラルヒストリー』(蒼天社出版、2010年)

中国と国交が樹立された1972年9月当時、森田一氏は大平外相秘書官、中江要介氏は外務省アジア局外務参事官、栗山尚一氏は外務省条約局条約課長でした。

関係各位に深謝申し上げます。



【2011年5月(その3)】

 中央大学政策文化総合研究所で、次の本について書評研究会を開催いたしました。

     伊藤信哉『近代日本の外交論壇と外交史学――戦前期の「外交時報」と外交史教育』(日本経済評論社、2011年)

 酒井一臣先生が報告して下さり、討論者には著者の伊藤先生をお迎えしました。

 フロアーには10数名の参加者を得て、有意義な研究会になりました。

 同書の第1部では『外交時報』創設者の有賀長雄から、ジャーナリストの大庭景秋(かげあき)以下の時代について、外交時報社の経営、編集、雑誌の特徴などが解明されています。

 もともと有賀の個人雑誌であった『外交時報』が、外交論壇で中心的な地位を占めるに至る過程でもあります。

 有賀や半沢玉城など名前は知られている人物であっても、公的な業績のみならず、短所を含めて人柄などについて論じられているところも興味深いように感じました。

 第2部は、主要な大学の外交史講座や研究者の著作を跡づけながら、外交史学の起源と外交史教育について掘り起こしています。

 その過程で通説を修正され、多くの大学で戦前から外交史講義があったことなどを指摘されています。

 中央大学でいえば、稲田周之助、高木信威(のぶたけ)、川原次吉郎(じきちろう)、松原一雄らが教鞭を執っていたことなど、非常によく調べられていて勉強になりました。

 文体も平易で読みやすく、外交論壇や外交史研究のルーツを知る上でも有益な内容となっています。

 日本図書センターから刊行された総目次も参考になります。



【2011年5月(その2)】

 拙著『東アジア国際環境の変動と日本外交 1918-1931』(有斐閣、2001年)が第5刷になりました。



【2011年5月】

 廣部泉『グルー――真の日本の友』(ミネルヴァ書房、2011年)を拝読いたしました。

 1932年から1941年まで駐日アメリカ大使の座にあったジョセフ・グルーについて、対日関係はもとより、第1次国務次官期や国務省内の人的関係などを含めて、その生涯を描き切ったご労作です。

 内外の史料を渉猟されているだけに、同書を通じて、グルーがもう少し知られるようになってくれればと思いました。

 なお、グルーと幣原喜重郎の関係などについては、拙著『幣原喜重郎と二十世紀の日本―─外交と民主主義』(有斐閣、2006年)で論じたことがあります。



【2011年4月(その5)】

 澤田次郎『徳富蘇峰とアメリカ』(慶應義塾大学出版会、2011年)を拝読しました。

 明治、大正、昭和と長期にわたって影響力のあった徳富蘇峰について、対米認識の変遷を軸に跡づけたご労作です。

 幼少期の愛読書からアメリカ体験、政治家への影響、さらにはアメリカ人との交友に至るまで、長年に及ぶ研究の集大成となっています。

 蔵書への書き込みまで丹念に調べられるなど、高度に実証的でありながら、文体は平易で読みやすく仕上げられています。



【2011年4月(その4)】

 白石仁章『諜報の天才 杉原千畝』(新潮選書、2011年)を拝読しました。

 北満鉄道譲渡交渉をはじめ、インテリジェンス・オフィサーとしての杉原の軌跡が余すところなく論じられています。

 私的、公的交友などのほか、命のビザについても再考されていますので、杉原についての決定版となりそうです。

 白石先生には、『プチャーチン――日本人が一番好きなロシア人』(新人物往来社、2010年)もあります。

 幕末に来航したプチャーチンは、日露和親条約、日露修好通商条約を締結したことで知られています。

 同書からは、プチャーチンの人物像や幕末の日露交渉はもとより、明治期のプチャーチンや長女についても、大いに学ばせていただきました。



【2011年4月(その3)】

 拙稿 “Japan's Continental Expansion Policy and the Chinese National Revoloution Movement”(日中歴史共同研究、近現代史第1部第3章の英訳、2011年)66-94頁が公表されました。

 外務省ホームページに掲載された英訳(PDFで開きます)では、70-98頁となります。

 日中歴史共同研究については、拙著『日中歴史認識――「田中上奏文」をめぐる相剋 1927-2010』(東京大学出版会、2010年)第6章で論じています。



【2011年4月(その2)】

 拙稿「この人・この3冊 石原莞爾」が、4月17日の『毎日新聞』書評欄に掲載されました。

 今年は満州事変80周年のため、本を3冊を挙げながら、石原莞爾を論じてほしいという企画でした。

 ご紹介した3冊は、いずれも在庫があるそうです。

 ウェブ版では見られませんが、紙面では専門家によるイラストも描かれています。

 イラスト上のこととはいえ、石原莞爾と向かい合うというのも不思議な感覚ですね。



【2011年4月】

 伊藤隆・季武嘉也編『近現代日本人物史料情報辞典 4』(吉川弘文館、2011年)で、辞典項目「幣原喜重郎」「広田弘毅」を執筆しました。

 追加情報となるものです。



【2011年3月(その5)】

 井上寿一『戦前昭和の社会 1926-1945』(講談社現代新書、2011年)を拝読いたしました。

 昭和戦前期の社会について、アメリカ化、格差社会、大衆民主主義という今日にもつながる視座が提示されています。

 サンソム夫人から農村雑誌『家の光』、近衛文麿のラジオ演説などに至るまで、縦横に論じられています。



【2011年3月(その4)】

 拙稿「大平・鄧小平・華国鋒会談記録――1979年2、12月」(『中央大学論集』第32号、2011年3月)が公表されました。

 情報公開請求によって得た外務省記録を紹介したものです。

 森田一/服部龍二・昇亜美子・中島琢磨編『心の一燈 回想の大平正芳――その人と外交』(第一法規、2010年)182-184、204-206頁と対応しています。



【2011年3月(その3)】

 東アジア国際政治史研究会で、次の本が取り上げられました。

 森田吉彦『評伝若泉敬――愛国の密使』(文春新書、2011年)

 著者の森田先生をお招きしたうえで、野添文彬氏が報告して下さいました。

 同書では、若泉敬の思想と行動が丹念に跡づけられています。

 若泉といえば、佐藤栄作首相の密使として奔走した核密約が有名です。

 本書では、それにとどまらず、中国問題や安全保障などをめぐる立論を体系的に追っています。

 佐藤栄作との関係はもとより、福田赳夫ブレーンとしての役割、小泉純一郎に期待していたことなども、新たに論じられています。

 研究者と現実政治のかかわり方についても示唆的で、京都産業大学に移ったとき政界進出を見据えていた(136頁)といったことも教えていただきました。



【2011年3月(その2)】

 拙稿「中曽根・胡耀邦会談記録――1983、84、86年」(『総合政策研究』第19号、2011年3月)が公表されました。

 情報公開請求によって得た外務省記録を紹介したものです。



【2011年3月】

 大地震のため、中央大学のある八王子も計画停電になっています。

 ようやく大学への入構が許されたところです。

 当初、ここまで被害が拡大するとは、予測できませんでした。

 研究室では書籍や史料、複写物などが散乱してしまい、少しずつ復旧しておりますが、まだまだ時間がかかりそうです。

 未曾有の震災に遭われた方々には、心よりお見舞い申し上げます。

 こんなときこそ、何かのお役に立てればと思います。



【2011年2月】

 栗山尚一/中島琢磨・服部龍二・江藤名保子編『外交証言録 沖縄返還・日中国交正常化・日米「密約」』(岩波書店、2010年)が第3刷になりました。

 波多野澄雄先生が御著書『歴史としての日米安保条約――機密外交記録が明かす「密約」の虚実』(岩波書店、2010年)282-283頁で論じられているように、東郷文彦氏らの「アメリカ局史観」に対して、条約局の立場から補うような内容になっています。



【2011年1月(その4)】

 早稲田大学に会場をお借りして、次のような研究会を開催しました。

   報告:平川幸子(早稲田大学)「書評:井上正也『日中国交正常化の政治史』(名古屋大学出版会、2010年)」

   討論:井上正也(香川大学)

 30人近い参加者を得て、有意義な場となりました。



【2011年1月(その3)】

 上海に行ってきました。

 主に上海市档案館を訪れました。

 中華人民共和国外交部档案館よりも、新しい時代のところが公開されているようです。

 史料によりますが、デジタル化が進んでいて、複写も円滑でした。

 羽田空港⇔上海虹橋空港の便でしたので、以前よりも近く感じました。



【2011年1月(その2)】

 1月9日の「NHKスペシャル 日本人はなぜ戦争へと向かったのか 第1回 “外交敗戦” 孤立への道」に少しばかり協力いたしました。



【2011年1月】

 冬休みに北京を訪れました。

 主な訪問先は、中華人民共和国外交部档案館、在中国日本大使館広報文化センターです。

 外交部档案館については、

          論文の執筆 → 海外調査―中華人民共和国外交部档案館を訪れる

 に利用方法などを記しておきました。

 在中国日本大使館広報文化センターの活動に関しては、拙著『日中歴史認識――「田中上奏文」をめぐる相剋 1927-2010』(東京大学出版会、2010年)286-293頁で論じたことがあります。

 北京では、昼間も氷点下の日が少なくなかったようです。



【2010年12月(その3)】

 竹内桂先生を中央大学にお招きし、明治大学所蔵「三木武夫関係資料」について報告していただきました。

 非常に貴重なお話でした。深謝申し上げます。



【2010年12月(その2)】

 拙稿「広田弘毅について」(『比較法制研究』第33号、2010年12月)が公表されました。

 昨年12月、国士舘大学比較法制研究所で行った講演の記録です。

 下記のところに誤植が残ってしまいました。

    108頁下から3行目  (誤) 渡辺   (正) 渡部

    113頁下から6行目  (誤) 判事国  (正) 判事団



【2010年12月】

 12月5日の『毎日新聞』で、加藤陽子先生のご論考「時代の風 日中の情勢に思う」が、次の本に論及して下さいました。

   中江要介/若月秀和・神田豊隆・楠綾子・中島琢磨・昇亜美子・服部龍二編『アジア外交 動と静――元中国大使中江要介オーラルヒストリー』(蒼天社出版、2010年)



【2010年11月(その6)】

 中央大学で次のように研究会を開催しました。

    報告:シュラトフ・ヤロスラブ(東京大学)「日露戦争以降のロシア対日政策――各アクターの立場とソ連期との継続性について」

    討論:麻田雅文(首都大学東京)

 パワーポイントを使ったご報告は、非常に興味深かったです。討論も、とても充実していました。



【2010年11月(その5)】

 11月21日の『岐阜新聞』で、コラム「分水嶺」が次の本に論及して下さいました。

   中江要介/若月秀和・神田豊隆・楠綾子・中島琢磨・昇亜美子・服部龍二編『アジア外交 動と静――元中国大使中江要介オーラルヒストリー』(蒼天社出版、2010年)



【2010年11月(その4)】

 11月7日の『東京新聞』で、社説が次の本に論及して下さいました。

   中江要介/若月秀和・神田豊隆・楠綾子・中島琢磨・昇亜美子・服部龍二編『アジア外交 動と静――元中国大使中江要介オーラルヒストリー』(蒼天社出版、2010年)



【2010年11月(その3)】

 共同研究の報告書「戦後日中講和の基礎的研究」が公表されました。

 福武学術文化振興財団から助成を得たものです。

 その成果は、中江要介/若月秀和・神田豊隆・楠綾子・中島琢磨・昇亜美子・服部龍二編『アジア外交 動と静――元中国大使中江要介オーラルヒストリー』(蒼天社出版、2010年)などとなっています。

 同書については、ある科研費でもご指導いただきました。深く御礼を申し上げます。



【2010年11月(その2)】

 岡山の岡崎嘉平太記念館に行って来ました。

 全日空社長などとして知られる岡崎嘉平太(かへいた)は、日中覚書貿易をはじめ、対中関係でも足跡を残しています。



【2010年11月】

 羽田空港が拡張されました。

 だからというわけではないのですが、10月末から1週間ほど、羽田空港発着で台湾に行って来ました。

 学園祭の時期を利用したものです。

 今回搭乗したのは、羽田空港⇔台北松山空港の便です。

 この便は10月31日に就航しました。

 台北松山空港も市内に近いため、とても便利になりました。

 かつて日台断交に際して椎名悦三郎らが訪台したときなどは、このルートだったかと思います。

 さて、今回は国史館のほか、中央研究院近代史研究所档案館で戦後の外交部档案を閲覧いたしました。

 いずれも多くがデジタル化されていました。

 ご参考になるか分かりませんが、「論文の執筆について」→「史料について(6-1)(6-2)」に利用方法を加筆しておきました。

 10数年前、台北北郊の中華民国外交部档案庫所蔵で原文書を閲覧したころと比べると、隔世の感を否めませんでした。

 拙著『日中歴史認識――「田中上奏文」をめぐる相剋 1927-2010』(東京大学出版会、2010年)で使用した史料も、便利に見られるようになりました。

 台湾の院生と思われる方々などが、早朝から夕方まで熱心に文書を読み込まれていました。



【2010年10月(その5)】

 加藤陽子先生のコラム「時代の風 孤独恐れる時代に」(『毎日新聞』10月31日)が、次の本に論及して下さいました。

   栗山尚一/中島琢磨・服部龍二・江藤名保子編『外交証言録 沖縄返還・日中国交正常化・日米「密約」』(岩波書店、2010年)

 ご指摘のところは、いずれ深められればと思います。



【2010年10月(その4)】

 10月24日の『朝日新聞』で、栗山尚一/中島琢磨・服部龍二・江藤名保子編『外交証言録 沖縄返還・日中国交正常化・日米「密約」』(岩波書店、2010年)が書評されました。



【2010年10月(その3)】

 中江要介/若月秀和・神田豊隆・楠綾子・中島琢磨・昇亜美子・服部龍二編『アジア外交 動と静――元中国大使中江要介オーラルヒストリー』(蒼天社出版、2010年)が刊行されました。

 中江大使は、外務省アジア局長や在中国大使を歴任した外交官です。

 国連、日韓国交正常化、ベトナム戦争、日台断交、福田ドクトリン、日中平和友好条約、中曾根外交などについて、存分に語っていただいています。

 若月先生の解説や井上正也先生による外務省人事一覧のほか、コラムも多く入れてあります。

 同書では、編者以外にも大勢の方々にお世話になりました。

 この場をお借りして、深く御礼申し上げます。



【2010年10月(その2)】

 新潟の田中角榮記念館に行って来ました。

 まだ詳しくは書けないのですが、いずれ形にできればと思います。



【2010年10月】

 10月3日の『日本経済新聞』記事「今を読み解く」で、栗山尚一/中島琢磨・服部龍二・江藤名保子編『外交証言録 沖縄返還・日中国交正常化・日米「密約」』(岩波書店、2010年)が紹介されました。



【2010年9月(その4)】

 尖閣諸島をめぐり、日中関係が緊迫しています。

 NHK「日曜討論」を見ましたが、各党が足の引っ張り合いのようになっていて、国会もその延長になってしまいそうです。

 テレビを見ながら、超党派外交という言葉を思い出しました。

 超党派外交というのは、外交を政争の具にすることを避け、内政と外交を分離するという考えです。

 晩年の幣原喜重郎が衆議院議長として訴えたものでもあり、拙著『幣原喜重郎と二十世紀の日本―─外交と民主主義』(有斐閣、2006年)で論じたことがあります。

 与野党の枠を超えて建設的な議論を重ねてほしいものです。

 もう1つ、宰相学という言葉も思い出しました。

 首相たるもの、外交、安全保障、憲法、教育という国の根幹に見識を持たねばならないというもので、ある元総理からお聞きしたことがあります。

 経済力が低下していくときこそ、外交の力量が問われるのかもしれません。



【2010年9月(その3)】

 9月23日の『毎日新聞』に栗山尚一元外務次官・駐米大使のインタビュー記事が掲載されました。

 栗山尚一/中島琢磨・服部龍二・江藤名保子編『外交証言録 沖縄返還・日中国交正常化・日米「密約」』(岩波書店、2010年)に関するものです。

 お陰様で、同書は増刷になりました。



【2010年9月(その2)】

 岡田克也外相が9月17日の会見で、栗山尚一/中島琢磨・服部龍二・江藤名保子編『外交証言録 沖縄返還・日中国交正常化・日米「密約」』(岩波書店、2010年)に論及されたようです。

 外務省ホームページのリンクをこちらに貼っておきます。

 関連する部分を以下に引用させていただきます。
その他、思い出深いのは、密約の問題で、これは一定の成果を出すことができたのではないかと思っております。最近、栗山元次官が岩波書店から本を出されまして、守秘義務が解けたのでということでかなり詳細に語っておられますが、今回のこの密約についての資料の公開と報告書が、これからの戦後外交の一つの側面をしっかりと深い議論を行っていく、そういうきっかけは作ることができたのではないかと思っております。もちろん、文書の公開ルールを作って体制を整えたことも、非常に思い出深いことであります。


【2010年9月】

 日中歴史共同研究の報告書が、中国語に翻訳されました。

 外務省ホームページのリンクをこちらに貼っておきます。

 拙稿「日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動」(報告書近現代史第1部第3章、2010年1月)224-242頁も、「日本的大陸拡張政策与中国国民革命運動」(中国語版、2010年9月)163-178頁として中国語訳されました。



【2010年8月(その5)】

 栗山尚一/中島琢磨・服部龍二・江藤名保子編『外交証言録 沖縄返還・日中国交正常化・日米「密約」』(岩波書店、2010年)が刊行されました。

 2年前から行ってきた栗山尚一元外務次官・駐米大使へのインタビュー記録です。

 沖縄返還、日中国交正常化、アジア外交、歴史問題、日米「密約」などを語っていただいています。

 とりわけ、佐藤・ニクソン共同声明や日中共同声明の策定では、中心的な役割を果たされています。

 沖縄返還と日中国交正常化は現代日本外交の原点ですので、多くの方に関心を共有していただけると思います。

 日米「密約」については、守秘義務が解除された後に重ねてお聞きしてあります。

 「核密約」の引き継ぎ文書ともいわれる「東郷メモ」、安保改定時の「討議の記録」「朝鮮議事録」、沖縄返還における「核密約」と「財政密約」などに関して、率直に語っていただいています。

 ライシャワー発言後の「栗山メモ」では、「日米安保体制に対する国民の信頼感が崩れていく危険がある」と記されており、非核三原則とアメリカ核政策の間で日米「密約」と葛藤した証言には迫力があります。

 同書のインタビューでは、編者以外にも多くの方々にご協力いただきました。

 この場をお借りして、御礼を申し上げます。

 《付記》 岩波書店ホームページの「立ち読み」にリンクを貼っておきます。PDFで開きます。



【2010年8月(その4)】

 日中関係史の研究合宿で大島に行って来ました。

 1泊2日の合宿でしたが、10本のご報告を拝聴し、とても勉強になりました。

 大島へは、調布空港から飛行機で25分ほどでした。



【2010年8月(その3)】

 8月3日の日本記者クラブで森田一氏が講演し、森田一/服部龍二・昇亜美子・中島琢磨編『心の一燈 回想の大平正芳――その人と外交』(第一法規、2010年)が紹介されました。

 こちらにリンクを貼っておきます。

 1分50秒ごろに同書の紹介があります。

 お陰様で、森田一『心の一燈 回想の大平正芳』は第3刷になりました。



【2010年8月(その2)】

 柴田光滋『編集者の仕事――本の魂は細部に宿る』(新潮新書、2010年)を興味深く読みました。

 本作りへの愛着、そして職人気質(かたぎ)ともいうべき隅々へのこだわりが伝わってくるようでした。

 次のような一節も印象的です。
編集者にとって、聞き書きとはその世界の第一人者の方から長時間にわたって独占的に話が聞けるチャンス。よく私は「月給をもらった上に最高の授業が受けられる」などと冗談を飛ばすのですが、これもまた編集者冥利に尽きる仕事です(200頁)。
 書き手からすると、校閲がしっかりしている出版社は非常にありがたいものです。

 この点、以下のくだりに首肯する方は多そうです。

最後に、まことに書きにくい話なのですが、触れざるをえないことがあります。校正は収益に直結しない仕事のため、そこにあまり経費をかけない出版社が少なくありません。事情はわかりますが、出版文化を考えると、これはいささか残念なことです(90頁)。 


【2010年8月】

 8月1日のNHK総合テレビ「プロジェクト JAPAN シリーズ 日本と朝鮮半島 第5回 日韓関係はこうして築かれた」に少しだけご協力させていただきました。

 このようなドキュメンタリーを拝見いたしますと、公文書には残らないであろうような部分を埋めるものとして、インタビューの重要性をあらためて認識させられます。

 番組では、河野一郎らが竹島問題に介入し、日本外務省が知らないうちに領土問題で譲ったと扱われていたようです。

 二元外交の危うさにほかならないのですが、河野らの意図をもう少し掘り下げてもよかったように感じました。

 おそらく河野らは、漁業交渉を領土問題と切り離し、領土問題によって漁業面で日本が不利にならないことを意図していたのではないかと推測されます。

 漁業を竹島問題と切り離すという点では、1998年の日韓漁業協定も同様だったかと思います。

 なお、番組に登場された一部の元首相や元大使につきましては、別の形でオーラル・ヒストリーの公刊を進めています。



【2010年7月(その4)】

 本を参照しながら論文を書いていると、本が閉じてしまうことがよくあります。

 特に、文庫本のような小さな本は、すぐに閉じてしまいます。

 そんなときには、ブックストッパーが便利です。

 洗濯ばさみを重くしたようなイメージです。

 ブックストッパーを2つ組み合わせると、ほとんどの本を開いた状態にできます。

 アマゾンでも売っているようです。



【2010年7月(その3)】

 ロシア史研究会の例会にて、富田武『戦間期の日ソ関係 1917-1937』(岩波書店、2010年)について書評報告いたしました。

 内外の史料を探求された富田先生のご論考につきましては、原型となった論文のころから拝読していただけに、大変に勉強になりました。

 外交交渉のみならず、日露協会をはじめとする各種団体や通商関係、さらには諜報や相互イメージなどが視野に入れられています。

 例会については、こちらにリンクを貼っておきます。



【2010年7月(その2)】

 学内誌『中央大学学員時報』第464号(2010年7月25日)にインタビュー記事が掲載されました。

 主に、拙著『日中歴史認識――「田中上奏文」をめぐる相剋 1927-2010』(東京大学出版会、2010年)に関するものです。

 いままでの研究や今後についても、お話しさせていただきました。



【2010年7月】

 日中関係史の共同研究を進めておりまして、10数名の方々と第2回の会合がありました。

 現代中国の研究者と外交史の研究者が半々といったところでしょうか。

 普段あまり接点のない先生方とお目に掛かれただけでも、共同研究の意義は大きいように思います。

 ある財団からご支援を得ていますので、こちらにリンクを貼っておきます。



【2010年6月(その2)】

 拙文「歴史研究の地平」(Chuo Online、2010年6月)が公表されました。

 はなはだ拙いものですが、これまでの研究を振り返りながら、今後についても少しばかり考えてみました。

 Chuo Online は、中央大学が YOMIURI ONLINE と提携しているもののようです。



【2010年6月】

 拙文「日中歴史認識と『田中上奏文』」(『UP』第452号、2010年6月)が公表されました。

 『UP』は、東京大学出版会の小冊子です。

 拙著『日中歴史認識――「田中上奏文」をめぐる相剋 1927-2010』(東京大学出版会、2010年)への橋渡しになることを念頭に置きました。



【2010年5月(その5)】

 東アジア国際政治史研究会を次のように開催しました。

   報告1:菅野直樹(防衛省防衛研究所)「書評:片山慶隆『日露戦争と新聞――「世界の中の日本」をどう論じたのか』(講談社、2009年)」

   討論:片山慶隆(関西外国語大学)

   報告2:服部龍二(中央大学)「森田一『心の一燈 回想の大平正芳――その人と外交』(第一法規、2010年)について」



【2010年5月(その4)】

 5月24日の『読売新聞』で、森田一/服部龍二・昇亜美子・中島琢磨編『心の一燈 回想の大平正芳――その人と外交』(第一法規、2010年)が紹介されました。

 森田一氏のインタビューも掲載されています。

 大平の政策や思想に加えて、政治とメディア、大衆のあり方を考えさせるような記事になっています。



【2010年5月(その3)】

 政治史や外交史を研究していると、人名や役職を特定するのにひと苦労ということがあります。

 特に、インタビューをテープ起こしするような場合、時として名字しか分からず、年代も曖昧になりがちです。

 そんなとき、しばしば官報のデータベースが役に立つようです。

 大学図書館でも利用できるのですが、使用する頻度が増えているため、少し前から個人で年間契約しています。



【2010年5月(その2)】

 5月10日の『東京新聞』社説で、森田一/服部龍二・昇亜美子・中島琢磨編『心の一燈 回想の大平正芳――その人と外交』(第一法規、2010年)に論及していただきました。



【2010年5月】

 5月1日の『朝日新聞』土曜版「be」に、「大平正芳 静かなブーム」という記事が掲載されました。

 そこでは、森田一/服部龍二・昇亜美子・中島琢磨編『心の一燈 回想の大平正芳――その人と外交』(第一法規、2010年)にも記述を割いていただきました。

 森田一氏のインタビューも紙面を飾っています。

 そのほか、大平急逝までを描いた小説が映画化されるというくだりには、一驚を喫しました。

 6月12日の没後30年に向けて大平は、しばらく注目され続けるのかもしれません。



【2010年4月(その5)】

 4月25日の『毎日新聞』に森田一/服部龍二・昇亜美子・中島琢磨編『心の一燈 回想の大平正芳――その人と外交』(第一法規、2010年)の書評が掲載されました。

 今年は大平正芳の生誕100年、没後30年ということもあり、あらためて大平が注目されているようですね。



【2010年4月(その4)】

 4月19日の『読売新聞』にインタビュー記事が掲載されました。

 拙著『日中歴史認識――「田中上奏文」をめぐる相剋 1927-2010』(東京大学出版会、2010年)に関するものです。

 「田中上奏文」を研究した動機、「田中上奏文」の起源、満州事変後の情報戦、国際連盟における松岡洋右・顧維鈞論争、中国に対する広報外交、日中の発想の違い、日中歴史共同研究、今日的な意味などについて、うまくまとめていただきました。

 日中歴史共同研究には批判的な報道が多かっただけに、「中国側も上奏文が偽物であることは理解し始めているという。地道な対話の意義は決して小さくないといえよう」という結語に救われたような気がいたしました。



【2010年4月(その3)】

 三省堂書店のブログに拙著『日中歴史認識――「田中上奏文」をめぐる相剋 1927-2010』(東京大学出版会、2010年)の書評が掲載されました。

 内容を的確に、しかも分かりやすく紹介していただき、とても感謝しております。

 神保町の三省堂書店には、高校生のころからよく足を運んでおり、懐かしく思いました。

 お陰様をもちまして、ちょうど同書が増刷になったところでした。



【2010年4月(その2)】

 4月14日の『毎日新聞』夕刊にインタビュー記事が掲載されました。

 拙著『日中歴史認識――「田中上奏文」をめぐる相剋 1927-2010』(東京大学出版会、2010年)に関するものです。

 記者の栗原俊雄氏は、2冊の岩波新書などでも知られています。

 インタビュー記事を掲載していただきましたことに、深謝申し上げます。



【2010年4月】

 4月4日の『朝日新聞』に拙著『日中歴史認識――「田中上奏文」をめぐる相剋 1927-2010』(東京大学出版会、2010年)の書評が掲載されました。

 この場をお借りして、深く御礼を申し上げます。



【2010年3月(その5)】

 拙稿「田中首相・ニクソン大統領会談記録――1972年8月31日、9月1日」(『人文研紀要』第68号、2010年3月)が公表されました。

 日米首脳会談の外務省記録を翻刻したものです。

 会談では、田中、ニクソンのほか、大平外相やキッシンジャー補佐官も加わり、貿易摩擦や中国問題について議論しています。



【2010年3月(その4)】

 3月21日の『東京新聞』、『中日新聞』に拙著『日中歴史認識――「田中上奏文」をめぐる相剋 1927-2010』(東京大学出版会、2010年)の書評が掲載されました。

 川島真先生によるものです。

 書評で採り上げていただきましたことに、深く御礼申し上げます。

 拙著では、歴史問題の形成過程を昭和初期にさかのぼって論じ、宣伝や情報、東京裁判、現代日中関係などを分析してあります。

 もともとが「田中上奏文」という怪文書だけに、なかなか原稿が進まず、脱稿できないかもしれないとすら思えた時期もありました。

 それだけに、主要紙で書評を掲載していただき、とても感謝しております。



【2010年3月(その3)】

 拙稿「顧維鈞とブリュッセル会議──『条約の神聖』を求めて」(中央大学人文科学研究所編『中華民国の模索と苦境 1928~1949』中央大学出版部、2010年3月)が刊行されました。

 ブリュッセル会議とは、日中開戦後の1937年11月にベルギーの首都ブリュッセルで開催された国際会議です。

 日本は不参加でしたが、中国の顧維鈞駐仏大使、イギリスのイーデン外相とマクドナルド植民地大臣、フランスのデルボス外相、ベルギーのスパーク外相、イタリアのアルドロバンディ大使、アメリカのディビス元国務次官とホーンベック国務省顧問、ソ連のリトヴィノフ外務人民委員らが出席します。

 顧維鈞は、日本への制裁と対中支援を各国に働きかけますが、奏功しませんでした。

 拙稿では、その経緯を顧維鈞の視点から跡づけています。



【2010年3月(その2)】

 森田一/服部龍二・昇亜美子・中島琢磨編『心の一燈 回想の大平正芳――その人と外交』(第一法規、2010年)に関連して、少し前のものですが、いくつか新聞のリンクを貼っておきます。

 『朝日新聞』2009年12月8日

 『京都新聞』2009年12月18日

 『四国新聞』2009年12月19日



【2010年3月】

 森田一/服部龍二・昇亜美子・中島琢磨編『心の一燈 回想の大平正芳――その人と外交』(第一法規、2010年)が刊行されました。

 元運輸大臣で、大平正芳の女婿、秘書官としても知られる森田氏へのオーラル・ヒストリーです。

 もともと大蔵官僚の森田氏ですが、大平の秘書官を長年務めており、大平が首相在任中の1980年に急逝すると、香川の地盤を引き継いで政治家に転じます。

 森田氏に、とりわけ外交面から大平を存分に語っていただいたのが本書にほかなりません。

 2度の外相や首相期における大平の外交や地域秩序構想、さらには日米「密約」について、側近中の側近ともいうべき森田氏に大いに論じていただきました。

 ここでいう「密約」とは、日米安保改定時の核密約と、沖縄返還における財政密約を指します。

 ライシャワー駐日大使から核密約について説得を受けた大平は、核密約を国民に知らせるべきではないかと長く苦悩し、首相期には側近に公表を打診します。

 一方の財政密約とは、沖縄返還に際して日本が400万ドルを肩代わりしていたもので、森田氏は大蔵官僚として関与していたことをありのままに語っています。

 内政面でも、大平の描いた国家像、田中角栄ら有力政治家とのやりとり、宏池会の系譜、「加藤の乱」などについて、率直に述べられています。

 目次と主な内容については、第一法規のホームページをご参照いただければ幸いです。

 今年は大平没後30年であると同時に、生誕100年でもあります。

 同書では森田氏をはじめ、多数のインタビューアーや第一法規の編集者にご尽力いただきました。

本書が外交面を軸としながらも、多角的に大平政治を掘り起こせているとすれば、皆さんが関連の文献を精査するなど周到な準備で臨んでいただいた結果にほかなりません。

 多くの方々のご協力なくして、本書が世に問われることはなかったと思います。

 関係各位に深謝申し上げます。



【2010年2月】

 拙著『日中歴史認識――「田中上奏文」をめぐる相剋 1927-2010』(東京大学出版会、2010年)が刊行されました。

 「田中上奏文」とは、田中義一首相兼外相が1927年に昭和天皇に宛てたとされる怪文書です。

 日本では戦前から偽書と見なされてきましたし、間違いなく偽書なのですが、中国などでは実存が信じられがちです。

 日本では一笑に付されがちな「田中上奏文」ではありますが、いかに世界中に流布し、なぜ中国などでいまも本物と見なされがちなのかという疑問から拙著は始まります。

 本書では、真の作成者、流通過程、マスメディアの役割、宣伝外交、国際連盟における論争、ラジオや映画を含む情報戦、東京裁判、中国や台湾の党史編纂、歴史問題などを跡づけました。

 現代的な問題でもあるため、戦後にかなりの記述を割いています。

 対中広報や民間交流、日中歴史共同研究などの分析を通じて、この問題の出口を探りました。

 文書の頒布を論述の軸としていることもあり、図版や表を多く入れていただきました。

 学生のころから気になっていた「田中上奏文」について、ようやく仕上げることができました。



【2010年1月(その2)】

 日中歴史共同研究の報告書が1月31日に公表されました。

 私は外部執筆委員として、近現代史第1部第3章「日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動」を担当いたしました。

 1914年から1931年ごろを扱う章で、論題は2007年に参加した時点で決められていました。

 共同研究では、諸先生方をはじめ、外務省や事務局の方々にも本当にお世話になりました。



【2010年1月】

 パンフレット「朝日新聞《復刻版》完結記念特集」(日本図書センター)に推薦文を寄せました。